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46.ジュン少年とコランダミー その1

「ミーちゃん、ミーちゃん。あれ」

 魔法使いのジュン少年が、開け放った列車の窓の遠い向こうを指差してつぶやいた。ボックス席の向かい側でうつらうつらしていたコランダミーはすっと目を覚まし、彼の視線を追って窓枠にしがみついた。

「ほんとだ!」

 彼の示す先には真昼の空の元、一面の白い――花が広がっていた。が、ジュンが目を留めたのはそこではない。よく見るとその地のある一画だけを埋めている、まっ黒な花の存在が分かるだろうか。それは白い花と同じ形をしているが、古びたチェーンオイルを地の底から吸い上げたかのように光沢を帯びた黒に染まっていた。

 どこまでも続く目を焼くような白さの中、まるでそこだけ窪んでるみたいだった。

「最近多いね」

 流れていく景色を見送って、コランダミーは風で乱れた髪もそのままにジュンに同意を求める。それを手櫛で整えてやりながらジュンは頷いた。彼らのあてのない旅の道中では、すでに同じような光景がいくつも思い出にされてきていた。あれがペンキをぶちまけた黒さではなく、近くで確認すると実際には、白と黒の花がぎりぎりのバランスで混在している程度だということも知っていた。だから今更そう珍しがることもないが、しかしやはり異質なものは異質なのであった。

 大きな瞳の少女は、そのまましばらくボーッとしたふうに窓の外を眺め続けていた。それからふと何か思ったかのようにジュンに尋ねた。

「黒いの、あたしたちだけ?」

「違うね。こないだのやつは野次馬いただろ」

「そうなの?」

「でもね、ほとんどの人は街の外なんかよく見ないから、気付かないのさ」

 ジュンは無感動にそう言ってあくびして、読みかけの本に視線を戻した。

 一方、ボーッとしたままのコランダミーは隣の席に放ってあった大きな鞄をがさごそやって、スケッチブックと色とりどりのサインペンを取り出した。スケッチブックの紙束は半分くらいがへたくそな絵で埋まっており、彼女は一番新しい紙からその浸食を再開した。

 コランダミーの鼻歌とサインペンが画用紙を擦る音とが、二人以外に乗客のない車両をどうしようもなくさせていく。まずは青くて巨大なゾウとキリンのあいのこだ。脚と鼻と首が長くてよく曲がる。次に足元を白い花畑のマットで覆う。真ん中には背の高い黄色い花。周りではフライパンみたいなものに羽根が生えたやつが飛び回っており、その一部が鳥の巣を強襲する。邪悪なシェフに命令されているのだ。でも上半身だけの狐が、卵が割れないように守ってくれたヨ~ン。ヤッタネ。

「できた!」

 一時間もかけて描き上げた絵をコランダミーは嬉しそうに掲げた。

 一時間もどうしようもなさに漬かっていたジュンはそれを見て、フライパンがどうしようもなく似てないなと思ったが、特に何も言わなかった。どちらかというとあれはフライパンというより鍋なのだが、コランダミーはフライパンと呼んで覚えているらしい。実際には卵を襲ったりもしないし、むしろ襲われる側のようにジュンには見えていたが、しかしそこは個人のものの見方の違いであった。

 他人を否定することで生まれるのは恋の終わりくらいのものだ、と彼は自分の心にささやいた。モノやコトの捉え方は人によって違うのである。同じものを見て同じことを思うとは限らず、実際には誰もが違うセカイを感じて生きている。それを考えれば鍋かフライパンかなんて本当にゴミみたいな違いである。

 ただ、その違いが少しばかり大きすぎた時、人は寂しさを知るのかもしれない。潰れたカステラみたいな。

 窓の外では相変わらず、白い花が地平線の果てまで全てを埋め尽くしていた。ここは眠るには眩しすぎる。ジュンは先程から何度も同じ行を読んでしまって、どうにも読み進められない本を閉じた。いくつか前の駅で買った小説である。彼は主人公に共感できないという言い草を好かないが、それを抜きにしてもこれは、主人公が行き当たりばったりというか意志薄弱というか、何を考えているのかよく分からなくて展開が唐突なように思えてダメだった。他の登場人物も頭の具合が微妙な奴ばかりで、読んでると疲れてくる。そもそも話の本筋自体が、何をしたいのかよくわからない……。

 ……。

 次の瞬間、彼は『やっちまった』ような顔をして、単行本を鞄にしまおうとしていた手を止めた。ゴミになってしまったからだ。読み返す気が起きない本は明日のゴミだ。この彼の頭の中には、読んでもいないはずの小説のラストシーンがすでに存在した。この場合は、メチャクチャな展開で引っ張った挙句に全て夢でしたとのたまう、なんにもならない終わりを知ってしまったのだ。

 これは魔法使いである彼が時々やってしまう悪い癖である。コランダミーを含め誰にも教えなかったが、彼は魔法使いであった。不本意ながら、遠い昔のある夜、ホンモノの悪魔に魔法、もしくは呪いをかけられたせいだ。それはやろうと思えばなんでもでき、知ろうと思えばなんでも知ることができるが、こんな風にちょっとした望みと破滅をも直結させる。いったいこいつに何本の映画を、何冊の読みかけの本をネタバラシされたッ!?

 そうしてはした金を無駄にした彼が、人生を楽しむためできる限り心掛けていることを三つほど述べる。一、旅先の情報は現地で仕入れる。二、物語の結末を気にしない。三、この世界のシステムを考えない。

 向かいの席では、スケッチブックの絵がうにょうにょと動くさまを見てコランダミーがはしゃいでいた。描いたものが動くオカルトサインペンで描いたからだ。ネットの心霊チャンネルのコマーシャルでやってたやつよ。

「たのしーね、ジュンちゃん」

 無邪気に笑う彼女の頭の上で、半透明の赤いカマキリが腕を振り上げていた。

「ぼくもたのしーよ、ミーちゃん」

 ジュンも頭を抱えて笑った。そしてゴミになった本を、ついでに鞄の中に入っていた読みかけの本の全てを、通路を挟んで反対側の席にそっと置いた。あっちも同じくらい眩しいな、近頃なんだか目が疲れるようになってきた、歳かな。

 白い花を見る彼が思うことを三つほど述べる。一、世界の見え方は人によって違う。二、この世界は美しい。三、友達が少ない。

「ジュンちゃん、ほんと本読むの速いねえ」

 空席に積み上げられた紙束を数えて、改めて彼は自身の短気さに呆れた。本はいつから開いて読むものではなくなったのかと自分を皮肉った。こんな癖は最初に『直して』おくべきだった、と思わないこともないが、しかしこれまで、そうやって一体、どれだけ自分を、『直して』きたと……。

 よくわからないが頭痛がしてきたので、彼はそれを考えないことにした。

 そんなジュン少年とコランダミーの関係を三つほど述べる。一、ジュン少年とコランダミーは友達である。二、ジュン少年とコランダミーは同じものが見える。三、ふたつで充分。

 列車が起こす風に巻き上げられた白い花びらが舞う世界は、二人の他は見ることのない輝きに満ちている。どうも目がまともな人らからすればこの世界はとてもつまらない見た目をしてるらしいな。それはとても損なことであるとジュンは信じていた。窓から吹き込む花びらと戯れるコランダミーを眺めながら。