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44.ユートピアンの歌

 オレの名はパルミジャーノん。先日亡くなった或田教授の研究室に所属している白ネズミの一匹だ。所属してるという点について実態はないが、学生の皆からの愛されっぷりはそれを証明するに足るだろう。電話番はできないが、役割としては今世紀最大の癒し系だと思っている。

 抽象的植物育種学の研究室にはオレの他にも五匹の白ネズミがいたが、果たして今どれだけが生き残っているかは定かではない。少なくとも、オレの一番の相棒だったレッジャーノんは『ヤツら』に食い殺されてしまった。そう、オレたちのボスをさんざ困らせていたヤツらにだ。

 白ネズミが敬愛していたのと同じくらい、あの方は学生たちからも慕われていたのだ。盛大な弔いを終えて数日経った今も、皆は暗い顔に腫れた目を貼りつけて、アップルパイをつまみながら麻雀に興じている。人間としてはお世辞にも狂っておられるところがあったかもしれないが、いち教師として、永遠の学徒かつ博徒たるその振る舞いたるや、恐れ知らずの豆鉄砲そのものだった。

 ボスがポケットマネーで配備された麻雀牌の箱に穴を空けたペコリーノん! あいつもヤツらの団体のひとつに探りを入れに行ったきり、帰って来やしない。ロマーノんも今朝方あいつを追って飛び出して行ってしまった。グラーナんとパダーノんは何か掴めただろうか。

 オレたちは、以前からボスを困らせていた『ヤツら』を独自に調査していた。ここで大事な点があるので説明したい。植物が心を持つということが証明された時、損か得をこうむる数々の存在、そしてそれらが動く時、さらにその後ろで得をする『ヤツら』の存在だ。「美しい金色のリンゴから這い出てきた醜悪な芋虫をつぶした時、リンゴもまた同時に腐り落ちた」という一説を、誰しも一度は聞いたことはあるだろう。十年前に連続ドラマで口説き文句として使用されて以来、数々の漫画や小説でパロディされたためにルーツが分かりにくくなってはいるが、実はこの言葉は高僧タマゴ・ボーロが弟子に説いたものであると言われている。

 後年のボーロが愛用したとされる自作のギターアンプは、今でもミルクロード歴史資料館に展示されており、希望すればレンタル使用も可能だ。ただし興奮剤の連用によってボロボロになった内臓が、本人の希望で死後豚のエサにされたエピソードについては、オレたちは懐疑的だ……。

 ううむ、思想ヤクザどものことを考えていると、ボスが独自に開発し我々に与えてくださった『禁断の果実』により上昇した、貴重な知能指数が下がりかねない。白ネズミの正義の前歯でもって、彼奴らを八つ裂きにする時は近い。ボスの天才的な植物学的センスは、本人の頭が狂っておられる可能性を差し引いても、余りあるものがあった。それをヤツらは、銀色のリンゴひとつ手中におさめるためだけに排除したのだ。

 そして今やオレものっぴきならない状況だ。教授の死後、独自にヤツらの不正な資金の流れを掴んだオレはそれをネット掲示板に流した。ヤツらはそれを事実無根だとし、名誉棄損を主張してアクセスログを入手のうえ堂々とオレを追ってきた。どうやら都合が悪い情報だったとみえるが、しかしそんなことは想定の範囲内だ。げっ歯類のコミュニティの縁で身を隠すアテはあるので、焦らずこちらから消えようと思う。

 だがその前に、オレにはもう一つやらなければならないことがあった。

 或田教授が色々と面倒なことに巻き込まれていたことは皆さんもご存じだろう。時は幕末、教授が生み出した銀色のリンゴ、そこから導き出された植物の心を巡って多くの団体が動き、結果的に多数のパパラッチ・投資家・八百屋などが休耕田のカオスに飲まれ消えた。教授もご自身の作品を守るべくトラクターで峠を攻められていたが、それを邪魔に思ったヤツらに難癖をつけられ精神病院へぶち込まれていた。そして失意のうちに、この病室で亡くなられた――。

「きー!(殺されたのだ!)」

 思わずオレは少年の手のひらに爪を立て叫んでいた。しかし少年は戸惑った様子でオレを見てきたため、オレは彼に持たせていたペンを奪い取ると、飛び降りて床の綺麗なところに『ころされた』と書いてやった。

「殺されたの?」

 人間一人分のほぼ全ての血液がぶちまけられて七日は経とうとしている病室を見渡し、オレは頷いた。各メディアでは、教授の死は自殺であると報じられている。自ら首を切って失血死したのだと。それを目にした時、オレは怒りのあまり空虚な笑いにとりつかれてしまったものだ。一体どうすれば人間が生首ひとつ残して自殺できるというのか!?

 研究室の生徒達も中に入れてもらえなかったあの日、マッポと看護師の隙間を縫って侵入した我々が見たものは、おびただしい血と肉の欠片に沈む教授の変わり果てた姿だった。首から下を何者かに持ち去られたとしか思えないような……。

 教授の尊厳を取り戻すべく、オレたち白ネズミには教授の遺骨を揃えて儀式にかけるという使命があった。あれからろくに掃除もされていないとみえる眺めは、教授を殺した何者かに繋がる手がかりの存在を否応なく期待させる。どこからともなく響いてきたデタラメなピアノの音色は、不思議と美しく聴こえた。いつも騒がしいこの病院では、人一人が死にゆく声など誰も気づくことができないのかもしれない。

 オレは気の抜けたような顔をしている少年に、そこらをひっくり返すよう指示した。床や壁を染める赤黒い液体や有機物の臭いを除けば、いまだ生活感が残る部屋にセンチメンタル。当日ももちろんオレたちは周到な調査を行っていたが、ある程度重いものの下や収納の中は白ネズミからはノーマークとなっていた。小動物の非力を感じた。今日の目的はそこだ。

 これまでの全調査にあたり、オレたちは教授が愛した学生らを巻き込まぬよう細心の注意をはらってきた。度重なる内乱と政治の腐敗が国を荒廃させる時、彼らが負担を強いられることがないよう心掛けた。そして今回、当件にあまり関係のない人材としてオレが登用したのが、以前一度だけ研究室を訪れたこの育ちの悪そうな少年であった。赤い瞳に白ネズミとしてのシンパシーを感じたのも一因である。年端もゆかぬ少年に血の海を浚わせるのは心が痛むが、この際そんなことはどうでもいい。

 そして数分もせずに、彼は小さな機械を拾ってきてオレに見せた。それはデジタルボイスレコーダーで、教授の私物だとしたら図抜けてハイカラなようにオレには思えた。何かヤツらの手がかりになるものが録音されているかも……!?

 オレは大慌てで少年の脚を引っ掻きながら彼の手元へ駆け上がったが、しかしその表示部で点灯している日付は教授が殺される前日のものだった。どうやらそこが最後のデータのようだ。落胆の色を見せたオレをよそに、彼の指が再生ボタンを押し込むと、少し間を空けて流れ出してきたのはまぎれもない我らがボスの声だった。

 それはなんと歌声だった。白ネズミも聴いたことがないようなへたくそな歌を、デジタルボイスレコーダーのちゃちなスピーカーは奏で続けた。呆然としながらしばらく聴いていると涙が出てきた。そのままオレは少年の手の中で震えていた。