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43.ゴミだ!クズだ!ゴミクズだ!

 たい焼きの袋を片手にキリウ少年が人影まばらな町を歩いていると、たまたまそこらへんにいたルヅが話しかけてきた。キリウが無視して逃げようとするとその男は足を引っ掛けて転ばそうとしてきたため、やはり少年は今日も立ち止まらざるをえなかった。たんぽぽのように。

「なにを死に急いでるんだ。朝刊やるから、それくれよ」

 ……。立てばたんぽぽ、座れどたんぽぽ、歩く姿もたんぽぽ。そんな友達がほしい。たんぽぽは歩くのだ。

 キリウはルヅの、わざと人の顔の高さでタバコの灰を落とすところとか、進行方向を塞ぐようにさりげなく立ち位置を変えてくるところとかが、あまり好きではなかった。普通の人はそういうことを友達にやらないのではないかと思っていた。思っていたが、シャイなので口に出せなかった。

 そして隠し切れない迷惑さがにじみ出てる顔して、彼はまだ温かい紙袋から一匹を手に取ってルヅに差し出した。少年の手の中で、それは生きながら焼かれたみたいなひどい面構えをしていた。

「意地悪な奴めっ。そんな嫌そうな顔されたら、申し訳ないだろうが」

 ……。ルヅはキリウの顔について言ったのだが、キリウはたい焼きの顔のことだと勘違いした。

 それを知るよしもなく、ルヅは貰ったたい焼きをその場で頭から食った。

「あ、うまい」

 その感想が意外だったのか、ストレス(人を威圧することで飯を食ってるよーな長身の男と拳の射程圏内で立ち話などしたくない。キリウが立端のたりない債権者であることを差し引いても)で腕とか頭をかきむしっていたキリウは少し驚いたような目をしてルヅを見た。

「あんた味分かるのか?」

 ……。キリウはタバコによる味覚と嗅覚の減退について言ったのだが、ルヅはキリウが『酒飲みは甘いものが嫌い』という迷信を信じているのかと勘違いした。ルヅは酒飲みでもあったからだ。

 それを知るよしもなく、キリウは血走った目をして、ルヅがたい焼きとは別の指に挟んだままのタバコを叩き落とした。ルヅの常用しているタバコは甘ったるい香りと喉を切るような煙をしていて、目の前で吸われると嫌がらせをされてるような気分になるからだ。

 実際、ルヅは世の中に対する嫌がらせのつもりで吸っているのだが、しかしキリウは人の好みにあれこれ言うべきではないと思っていたので口に出せなかった。

 地面に落ちたタバコを執拗に蹴り潰すキリウを見下ろして、ルヅはため息をついた。

「あーやだやだ。分かった。分かったぞ。おまえ、仕事の切れ目が縁の切れ目だと思ってる典型だろう。ただでさえいない友達をなくすような真似しやがって。なんて薄情なクズだ。つくづく脳みそがかわいそうなクズだ」

「金返せバカ」

 ……。世間的に見てキリウが甲殻類に近いことを除いても、二人が共に借金取りだった頃の同業者であったことは事実である。同じ町に住むゴミクズ、借金取り、ゴミクズ同士、時には一緒に取り立てを行ったことも。

 もっとも、ルヅのキリウに対するタバコ一箱分程度の借金は当時も常にあったし、さほど今とは変わらない関係だったように四次元空間は記憶している。違うのは借金がタバコ数カートン分くらいに膨れ上がったこと、そしてたとえほんの少しの間でも、その借金がまったくのゼロになる瞬間がなくなったことくらいのものだ。些細な違いではないか。

 ルヅは渋々とショルダーバッグから朝刊を引きずり出した。次に、高そうな財布からそれなりの現金を取り出した。キリウが朝刊もろともそれをひったくって、金額とか偽造防止加工を確認するのを眺めながら、彼はたい焼きをできるだけむごたらしく食べた。

 やがて、嫌がらせにほとんど小銭で渡されたその金を握り締めて、キリウは吐き捨てた。

「足らん!」

 だがルヅはそっぽを向いてこう答えた。

「そのうち返すから、黙って待っていろ。せっかちな奴め」

 ……。それにしてもいつからだろう、金勘定に関してだけは他のあらゆる欠点より若干まともなところがあったルヅが、せいぜいタバコ数カートン分の借金をいつまでたっても足を揃えて返してくれなくなったのは? 神経がぐちゃぐちゃになるような焦燥と手の震えを抑えながら、キリウはそんなことを考えていた。

 その昔、キリウの弟は言った。少しでも人を好きになる気があるなら、間接キスと借金の踏み倒しだけは許してはならないと。それ自体は悪ノリとか口から出任せだからまったく微塵も意味などないが、ただ、なんとなく思い返した彼の弟の顔は、ゴミを見るような目をしていた。

 この胸の苦しさは恋か寝不足だとキリウは思った。そして彼は小銭の山を、たい焼きの袋とポッケに分けてしまい込んだ。三割は借金取りの聖地へ供えに行こう。

「俺、借金取りやめたのに」

「勝手にやめろやチキンめ。せいせいするわ」

 ……。ぼやいて、キリウは苛立ち交じりにたい焼きをひとつかじった。どういうわけか彼は友達と話していただけなのに、ひどく疲れを感じていた。たい焼きの中身は血のにおいがするイチゴジャムみたいなもののようだが、そんなもの指定して買った覚えはない。さらに奥からは何かの骨が出てきたが、気にする余裕もなくそのまま食べた。

 そしてシワの寄った朝刊をぞんざいに広げて、またぼやいた。

「ほら、金の貸し借りがどうこうで、今日も人が死んでるし。でもそうなる前にもっと良い人間関係を築く方法、すごく単純なのに……」

「ウソつけ薄情者め。貴様みたいなのに限って金の切れ目が縁の切れ目のくせに」

 ……。新聞の斜め・半時計回り・広告狙い撃ちの混成アクロバット読みを始めていたキリウに、ルヅの言葉は理解できなかった。

 借りる阿呆に貸す阿呆、そんな言葉を浮かべながら、ルヅは低く笑った。本当に金銭トラブルを解決する気がある時、人間関係など真っ先に切り捨てるものだ。それを知らないほど、目の前のバカはアホではないことをルヅは知っている。

 だがアホではないがバカだし、何より哀れな奴だ! そう思っていた。

 一方、怒濤の速読で八面を読んでいたキリウは、とある記事に差し掛かったところでぴたりと固まった。なので、ルヅのおもちゃを見るような目に気付くこともなかった。

「どした?」

 不思議がってキリウの手元を覗き込んだルヅは、彼の視線の先の文字を自然と呟いていた。

「入院中の大学教授、自殺か」

 ユートピア記念病院に入院中の青旗連合枯山水大学・抽象的植物育種学教授の或田哲生さん(65)が本日未明、病室で失血死しているのが職員によって発見された……署の調べによると、自分で首を切ったことによる自殺と見られ……。

「誰だよ」

 少年は返事をしてくれなかった。