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40.ファミレスにて

「ジュンちゃん、どうしたの?」

 名前を呼ばれて、白髪の少年は我に返った。先程までとは太陽の高さが違うような気がして彼が時計を確認すると、この同じファミレスの席で最後に確認した時から、ゆうに二時間が経過していた。

 今度はまた、ずいぶんと他愛もない記憶をさかのぼっていた。あの何百年か前に見た巨大な骨聖霊は、今どこを彷徨っているのだろうと彼は思った。普通の人間は、歳をとるにつれて徐々に時間の経過が速まってゆくように感じるそうだが、悪魔というやつにはそれがないのかもしれない。少なくともジュンの体感では、そのようなことはまったく無かった。

「……ミーちゃんよ。宅配便に荷物を出すと、発送伝票とゆーやつがもらえるだろ」

「そうなの?」

 四人席を二人で陣取って確保したワークスペースを存分に使って、彼の目の前の小柄な少女は、何やらずっと作業をしていた。その子、お人形みたいな格好をしたミーちゃん――コランダミーの雑多な雑貨コレクションのお手入れである。ただ、彼女の散漫な集中力が災いして、二人はかれこれ四時間はこの店に居座っていた。

 ひどいロケーションの店である。少なくとも周囲二キロを活字工場で囲まれている。このような店に立ち入るのは、一日に三万本ずつ生産される『ヲ』とか『ゑ』とか『毳』の字で頭がやられた工員たちくらいのものだ。黙っていると、生気のない目をした彼らの会話が聞こえてくる。

「ヲゑゐ。あ$豆ヲ束山羊苔鰯物産展」

「るへPヮの、を蟲の毳が長彡友」

 そのインキな響きは、インク色した闇の底を思わせた。そんな中で、適当に注文し続けて羽振りの悪くはなさそうな振る舞いをしていた二人は、幸いなことに今のところ店員から睨まれてはいない。

 ジュンは、意識を失う前まで数えていたレシート類の束を再びめくった。そして、アイスクリームを浮かべたサイダーの空グラスを眼前に三つ並べたコランダミーが、四つ目に手を出しているところを見て言った。

「忘れたころに言うようですまないけど、こないだ君に出してもらった分のが無い。頼んだでしょ荷物」

「うん」

「その伝票持ってないか?」

「持って……ない」

「……荷物は出したの?」

「出したよう」

 いつの間にか窓の向こうの少し遠くで、怪獣が工場地帯を闊歩していた。もの悲しい情景である。けれどうしろめたそうに縮こまりだしたコランダミーにとって、問題はそちらではない。ゼロ戦が飛んできたとしても。

 ジュンはゴミを見るような目でコランダミーをじっと見た。正確にはそんなはずではないので彼の名誉のため説明すると、彼は猫をかぶってない時は自然とそのような顔になってしまうのだ。確かに本当のゴミとかゴミみたいな奴を見た時にも同じ顔をするが、ゴミではないものを見る時にもゴミを見るような目になるパターンだって多く存在するということである。その場合、決してその心に非難がましさは無いのだが、付き合いの短い人間が見れば怒っているようにも見えるかもしれんな。フハハハハ!

 ちなみにコランダミーは付き合いの長い方だが、勘違いした。

「えっとね、使わなかったの……」

「宅配便を?」

 コランダミーはおどおどした態度で、恥ずかしそうな顔をしながらストローを指でいじりだした。作り物のような極端に大きな瞳のせいで、こちらはこちらで細かな表情の変化が分かりづらい。

 さんざ間を空けて彼女がようやく小さくうなずくと、ジュンはゴミを見るような目(自然体である)のまま半分笑って、頬杖をついた。

「五回でも十回でも、分かんなくなったらちゃんとぼくに聞いてよ」

「でも荷物は送れたもん」

「そういう話ではないぞミーちゃん」

「ごめんね」

 これはどういうことかと言うと、まずこの頭の弱そうな少女コランダミーが、残念ながら見た目通りの世間知らずであるという前提をお伝えしなければならない。だからジュンは彼女に何度か、公的機関とかサービスの利用方法を教えている。ものによっては投げ出したくなるほど教えている。だが今回彼女ひとりに宅配便の手配を任せたところ、こんな送れてないのに送れたとか言うような、わけが分からん事態に陥ってしまった。

 実際に送れたという点については、ジュンはべつに疑わなかった。なぜならコランダミーには、それを可能とするヘンな力があることを知っていたからだ。そのタイニーでキュートな頭脳の処理能力を超えた問題に直面した時、例えば手続きを間違えたか何かでパニックを起こした時、おそらく彼女はその力で営業所員を『操って』、どうにか目的地まで荷物を転送させてしまったのだろう。

 ジュンは彼女のそれを、何らかの呪いだと思っていた。なぜ呪いかと言うと、なまじそんなことができるから頭が弱くなったのではないかという不安と……他にも理由があった気がするが、今のジュンには思い出す気力が無かった。とにかく、彼女の見かけに反し、あまりファンシーな原理ではなかったことだけは確実なのだが……。

 ところで、おそらくは無記名で宛名もないまま無事に届けられた荷物を、キリウは果たして開封しただろうか? いまいちボンヤリしたままの頭で、弟は少し心配に思った。彼は普段から双子の兄におみやげを一方的に送りつけてはいたが、さすがにそこまで不確定なものをやったことはなかった。

 しかしただでさえ怪しいものが好きな兄であるので、喜んでくれていたらいいが。先日出会った植物愛護団体の男が、少し預かってくれと言って無理矢理押しつけてきた大量の銀色のリンゴを。どうやらあの男は警察に追われていたようだが、それは心底どうでもよい情報である。

 窓の外の道路に、倒壊した工場のジグザグした屋根の断片が飛んできたのを見て、ジュンはもうすぐここも怪獣に踏み潰される系かと半分くらい思った。そして、テーブルの上の雑多な雑貨を片づけるようコランダミーに言った。のんびりした彼女もさすがに慌てて大きな鞄を広げたが、そこへどう見ても入り切らない量の荷物をあっという間に詰め込んで見せたのは、いつものことである。何せモノの大半がオカルトグッズなので、そんなこともあるのかもしれない。

「待って待って、火事場どろぼーしてくるね」

 席を立った途端にどこかへ行こうとしたコランダミーに、ジュンは会計伝票をひらひらして見せた。

「割り勘だよ」

 意味が分からなくてコランダミーは考え込んだが、少し間を開けて、顔を真っ赤にして叫んだ。

「違うもん!」

 支払い前に急にいなくなる人種かと茶化されたことに気付いたようだ。彼女は鞄から財布だけを器用に引っ張り出し、ジュンの手に押しつけると、大急ぎでどこかへ走って行った。どうやら、すでに人が逃げ出して無人となっている厨房に用があるらしいが、火事場泥棒とかじゃないだろうな。

 ということはつまりとっくに他の客と店員たちは消えていたらしく、今それを知ったジュンは出遅れたような気分になった。本当に出遅れているのだがそれはどうでもいい。地面が揺れるせいで変な位置にずれたレジカウンターを押しのけ、少年は二人分の財布から取り出したほぼ同額ずつの金をコイントレーに置いた。割り勘だから。同額ではないのは端数が出たから。

 そこからジュンが店内を振り返った時、すみっこの席にただ一人残っていた職工の男と目が合った。怪獣が歩くたび音を立てて店じゅうが軋む中、暗い目をしたその男は、おもむろに食卓塩の瓶を手に取る。そして次の瞬間、無闇やたらに力を込めてそれをジュンに向かって投げつけてきたが、精度が悪くてそこらへんの壁に当たっただけだった。

 ぶちまけられた塩とガラス容器の残骸、それから窓の外の惨状を眺めて、やがて男は怒りと悲しみが入り混じったような嗚咽を上げ始めた。

 そんな光景を見て、ジュンはなんだかイヤな気持ちになった。なりませんか? ぼくはなります……。