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34.世界のどこかで

「やだ。あなた、また来ちゃったの」

 また?

 キリウ少年は、ふわふわ動き回ろうとする自分の中の何かを気合で押さえつけていた。暗く冷たく方向感覚の無い空間で、何かが胎動するような音に包まれて、彼は漂っている。

「でも今度は……カラダは置いてきたのね。心配しないで、前みたいにひどいことにはなってないよ」

 声を出そうとしたが、キリウにはそれができなかった。電波塔から落ちた時にケガをしたせいだろうか。そしてすぐそばで、がれきの上で硬いものを引きずる音がした。

 闇の向こうで輝く空気を感じて、彼は、何も見えないのは自分が目を閉じているからだと思った。しかしすぐに開けるべきものがないことに気づいた。彼には体がなかったのだ。幽霊みたいに、実体の無い何かになっているようだった。

「ううん、分からなくてもいいの。あなたは何も覚えてないはずだから」

 それよりさっきから何を言っているのかこの女は!?

 虚空に向かって意識を炸裂させた瞬間、キリウは夢から一気に覚めたようになった。無いはずの身体がふらつくような感覚を覚えた。そして急激に晴れた視界いっぱいに広がる異様な光景に、絶句した。

 足元、今の彼に足など無いが、足元に広がる大量のがれきについては今更驚くことなどないはずだが、この場所のそれときたら真っ黒だったのだから。かすかに光沢のある真っ黒いがれきが地平の果てまで広がっており、それらはめらめらと這うような炎を上げて燃えていた。キリウを囲うように少し距離をおいて、それより向こうはどこまでも燃えているように見えた。

 炎に燻られて、全てのがれきが焼け焦げてしまったかのような場所だ。空は気持ち悪いくらいの夕焼けだったが、よく見ると遠くで大きく燃え上がる炎に空間自体が照らされているだけで、頭の真上は永遠の虚空を思わせる暗闇だった。

 ここは世界の果てかもしれない、とキリウは思った。見たこともない赤い空と、黒いがれきの地平線に彼は心奪われていた。単なる色違いと言うなかれ、青い空と白いがれきに飽き飽きしていた彼には、それだけでも充分だった。しかし果てしなく広く見える反面、まるで何かに閉じ込められているかのような、よく分からない閉塞感にとらわれてもいた。

「そこらにあるものは、気にしないで……」

 後ろから遠慮がちに声をかけられて、身体の無いキリウがどうやってか振り返ると、そこには作業着姿の女が立っていた。

 大人とも子供ともつかない、不思議な見た目と声色を持った人だった。炎のように赤い髪と白い肌は煤まみれで、大きなスコップをその手に下げている。先程聴こえたがれきの上で何かを引きずる音は、そのスコップに由るものだとキリウは思った。がれきに死体とかを埋める時に、同じ音を聴いたことがあった。

「落ち着いて聞いて。今のあなたは、あなたの血液と、それに宿る意識だけになってるの。普通のヒトならあり得ないし、とても生きてはいられないけど、あなたの身体だとこんなことも起きてしまうみたい」

 彼女は赤い瞳でキリウをまっすぐ見ないで、どういうわけか少し急いでるみたいに矢継ぎ早に喋った。当のキリウは彼女の言葉が理解できなくて固まっていたが、それはあまり彼女にとって重要なことではないらしく、一切フォローは無かった。

 身体の無い少年は自分の手を見下ろした。もちろん手など無いが、代わりにその場所を通り抜けた足元のがれきには、血のようなものがべっとりと付着していた。しばらく気づかなかったが、どうやらこのあたり一帯に彼の血液が散らばっているようだった。

 そして、ところで心臓をどこへやってしまったのかと考えた瞬間、キリウは無いはずのこめかみのあたりが疼いたような気がした。

「もしかしてたぶん、高いところから落ちたりしたのね? 地上のあなたは、大怪我してるみたい。早く身体の中に戻さないと、今度こそ……」

 ぼたぼたと何かが降り注ぐ気配にキリウが上を見ると、真っ黒い闇の遠くから彼の血が垂れてきていた。ただ、暗い天に暗い色の液体では、あまりはっきりしたことは分からなかった。それらが地面に落ちるたび少しずつ、彼の身体のどこでもないどこかが熱を帯びた痛みを持ってゆくということ以外は。

 固まったまま見上げ続けた視界の隅に、彼が知っているどれよりも背の高い電波塔があった。ここに敷き詰められたがれきと同様に、焼け焦げたみたいに黒い骨組みでできたそれは、赤い空に不気味な影を飛ばしてつっ立っていた。

「大丈夫、何とかするから。だからもう来ちゃダメ。高所での作業は気をつけて」

 黒いがれきの隙間に吸い込まれていくキリウの血液とともに、彼の意識も物理的に沈んでいった。液体とはそういうものだ。作業着の女はスコップで黒いがれきをすくって、順番にキリウの血液を埋めていった。そして最後に、キリウの無いはずの頭を、スコップで思いっきりぶっ叩いた。

 無い頭とか言うとまるでのーたりんみたいだが、彼にはそれを否定できるだけの材料が無い。なんにも無い。黒い電波塔を無い脳みそに焼き付けたまま、彼は意識を吹っ飛ばされた。電気信号が無い網膜にスパークして、何も分からなくなった。

「えっと、地上の座標は……」

 ゴミみたいに燃えてゆく世界。

 

 

「い……」

 完全に落ちていた意識が急激に平均値を取り戻した時、キリウはかすれた声をこぼした。そして腕を動かそうとした途端、生きながら獣に食われるような激痛に襲われて、飛び起きた。

 見ると、肩口から右半身を中心に、あちこちに白いがれきが突き刺さっていた。しかし彼が少し動くと、それらはぼろぼろと傷口から抜けて落ちていった。あとに穿たれた穴は、黒くて固いゴムの塊のようなもので覆われていて、その表面からわずかに血が滲んでいた。

 辺りには、乾いた血が付着したがれきがたくさん転がっていた。こぼれた血の多くは、がれきの隙間から大地に吸い込まれてしまったようだ。彼が最後に記憶していたほどの惨状は残っていない。

 ぼんやりする頭を抱えて、彼は次に何をすればいいのか考えた。骨が折れたりはしていないようだが、なんだか全身が痛いし寒気がした。傷口がどうなっているかなんて、どんな夢を見ていたかなんて、とても考えが回らなかった。

 夢?

 ふと、彼はすごく長い夢を見ていたような気がした。とりあえずうちに帰ろうと思った。頭上でパチパチ響く翅音に顔を上げると、白い電波塔が彼を見下ろしていた。頭の後ろの方に乗っていたらしき白い虫は、キリウが上を向いたせいで背中側に落っこちた。