もはや夢も現実もどうでもよくなりつつあったキリウ少年が、電波塔の下に立っていた。とても外へ出たくなるような心持ちではなかったはずだが、それを押しのけてここまで来た意味はなんだろうか。夢遊病というやつか。
何かが動いた気がして足元に目をやると、彼は白いがれきに溺れる自分の影を見た。風が吹くとそれが一緒に煽られているようだった。そして無意味に靴の先で拳くらいのがれきをひとつどかしたところ、下から白い虫が一匹這い出てきた。そいつは、あまり機敏ではない仕草でどたばた走って、少し向こうのがれきの下にまた潜って消えた。
どうせ来たのだから電波塔の点検でもしようとキリウは思った。電波塔の無数のホネの一本に足をかけたら、ちょうどそこにも白い虫がいたのだが、彼は気づかなかったので踏み潰してしまった。そのまま勢いよくジャンプして、彼は巨大な三角錐の面――とは言えど近くで見るとスカスカな、いびつで巨大な鉄骨の集合体――を何度かに分けて蹴って、事もなげに塔のてっぺんあたりの制御盤の前に降り立つ。
そうして飛び込んできた少年の質量が電波塔をほんの少し震わせた途端、足場の周りの手摺に何匹かとまっていた白い虫が、一斉に飛び立った。太陽と青い空と白いがれきで輝く世界へ、丸めた紙屑のように散っていった。
奴らは走るのも苦手だが、飛ぶのも苦手なようだった。当初はキリウもあの虫たちを気にしていたが、電波塔と関連性があるらしきこと以外は何も分からないし、図書館に調べに行ったけれど図鑑にも載っていないし、虫かごに入れてもいつの間にか消えてるし、何よりキリウにしか見えていなかったので、もうあまり気にしないことにしていた。
制御盤の蓋の鍵をポッケから取り出して、ふと彼は、近頃は幻聴を含む体調不良がほとんど治まってきていることに気付いた。一番ひどい時は、ここに立っただけでつんざくような耳鳴りに見舞われ鼻血が出たり、泡吹いて卒倒する・自分はカミキリムシの一種であると錯覚するような調査結果と見解を耳元で絶えず囁かれる・税金の督促ハガキを破り捨てる・昨日食べたものの記憶が完全に捏造されるなどの被害が出ていたものだ。たびたび変な言霊を受信するのは相変わらずだったが、それも前ほどの不愉快さは消えているように感じていたし、言うこと考えることメチャクチャなのは元からなので、実質的な不具合は何もない。
そうだ元々そんな感じだ何もおかしくない。何もかもうまくいっている。これが夢だったら自分がかわいそうなので、キリウは現実に怯えた。現実逃避をするために、見慣れた風景を無視して、すっかり慣れた目の前の作業に没頭した。
――キリウに無視されてはいるが、この日は素晴らしい晴天だった。地平線の向こうまで続く青と白は、どこまでもその彩度を高めている。
時に人はこの景色を神様の手抜きだと評したり、こんな世界はおかしいと言う。しかし本当におかしいのは、この景色しか知らないはずの人なぜそんな妄想に取り憑かれるのか、というところに他ならない。ことキリウは年がら年中常にそう思っていたが、口に出すと脳みそパープリン扱いされることを幼い頃に学習して以来、めったに言わなくなっていた。実は日陰者街の住人には、彼のような人が少なからず存在したのに……。
それがなぜだかはともかく、すれ違いというのはいつの時代も切ないものだ。
計器類の数値がこれまでになく上下に狂っていたのを見て、キリウはなんとなく凹んだ。
相変わらずそれらが何を示しているのかは不明だが、どうせろくでもないことに違いないと彼は思っていた。数値のズレを報告したところで誰かが直しに来たりする形跡もなく、その報告にしてもどこへ繋がっているのか甚だ不明な通信機に向かって、こちらから一方的にメッセージを吹き込むだけである。
ふと彼は、嘘の報告をしたらどうなるのだろうと思った。けれどそれで首を切られたら嫌なのでやめておいた。誰に何を何のためにさせられているのか分からない仕事なら、他にもやってきたからだ。そういうのは決まって、どうでもいいことを詮索されることを嫌うのだ。そのためにカネを多めにくれるのだ!
キリウは、ほとんど衝動で借金取りをやめた時のことを思い出した。最後の相方と別れた時は流血沙汰だった。
正直な報告を終えて、少年は辺りを見回して柵に手をかけた。冷たく頼りないそこへ軽々と飛び乗ると、弾けるように舞い上がって、再び風の中へ身を投げた。今日は本当に天気が良かった。電波塔のてっぺんよりも高いところから逆さまに見下ろした世界は、何が何やらまったく意味が分からなかった。
いえーーーーーーーーい!!
そして青と白の渦中に太陽を見つけてしまった。視界を焼かれた彼は、次の瞬間すごい勢いで着地し損ねた。身体の側面からがれきの大地に叩きつけられ、自分で飛び散らかした血を感じながら、最後に一言。
「太陽……キライ!」
これは自殺ではなく事故である。やはり夢遊病というやつか。夢なのか。何もかも全部。
意識を闇の中へと引きずり込まれながら、キリウは、誰かあの太陽を撃ち落としてくれという気分になった。