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30.どうしようもない街

「おい、あいつ何やってんだ」

「この世が夢だと思ってるらしいよ」

 ペットショップの店内で、店員エプロンをつけたユコと喪服みたいなスーツを着たルヅが鉢合わせになっていたが、共通の知人の話題で事なきを得た。ルヅは分解された銃の入った大きなケースを片手に、檻の中のネコとじっと目を合わせたまま。ユコは昆虫ゼリーをすすっているトランを背中に、凶暴そうな爬虫類に餌を与えながら。

 今朝からずっとキリウ少年が、変な模様をそこらじゅうに石膏で描いて遊んでいたため、現在、町の一画が落書きだらけになっていた。彼はミサイルで吹っ飛ばされた際に脳細胞の大半が消し飛んでしまい(正確には消し飛んだ記憶を得てしまい)、夢と現実の区別がつかなくなっていた。

「なんだか知らんが、これだからナイ~ブな年頃のシャイボーイは。お前、書類上の義理の娘だろ、ヤツを殴り殺してこいよ」

 命令口調でほざきながらネコの檻の中に手を入れようとしているルヅの背中を、ユコは肘でどついた。

「落書きくらいどうってことないじゃない。だいたい、私の書類上の義理の親は、キリウじゃなくて名義貸しのオヤっさん」

「どうでもいいわ。町内会長の葬式くらいどうでもいい。お前ってほんとつまんない。もういい、このオレが、わざわざ撃ち殺してやるっきゃない」

 ルヅはイライラした様子で、ユコの背中に貼り付いていたトランに本気でデコピンしたが、その骨精霊は引き続き昆虫ゼリーの空き容器をしゃぶっているだけだった。彼は本当はユコにデコピンしたかったが、手が届く範囲にはトランしかいなかったので、トランにデコピンしたのだ。

「ねえトラン、この人、そんなものでキリウが殺せると思ってんのね。バッカみて」

 すかさずユコが、すごい勢いでトランをルヅから遠ざけながら、まるっきり無表情で吐き捨てる。それを見て、やっぱりこのクソ女を撃ち殺そうかとルヅは思っていた。彼はゴミみたいな雑談に舌打ちで生返事すると、息をするかのように自然な所作で、死ねとつぶやいた。

 魚みたいなものの水槽に餌みたいなものを撒きはじめたユコは、もはや冷凍庫に八時間くらい放り込まれてたような顔をしてたし、あとは特に意味もなく死んだ目をしていた。つまり今は冷凍マグロのようなものだ。この街に住んでいると、面倒事に巻き込まれたくない時は自然とそうなるものだった。

 だいたい、特に意味もなく目が輝いてる奴の方が怖いのだ。

 その頃キリウは、通行人を巻き込んで一大宗教を作り上げていた。どいつもこいつも靴のカカトを踏まれる運命にある。脳細胞が焼失した彼の言葉はひどく神がかっており、脳細胞が溶解するような悪しき生活習慣を送っている人間から順番に、いとも簡単に騙されていった。

 事実、彼の脳みそのイマジナリー跡地には、おびただしいネギ坊主の残骸の中心でトランペットを吹くイマジナリー神が佇んでいた。奴はこの街の反射率を上げろと仰る! そんなキリウの目は特に意味もなくギラついていた。

「……キリウ、弟の夢を見たんだって」

「ふうん。夢と現実を混同してるんじゃなかったのか?」

「夢から覚めた夢だと思ってるんだよ。さっき私にそう言ってた」

「なんていうか生まれてきたことが間違いだったな……」

 昼前なのにどことなく薄暗い街並みの中、即興で生み出された信者たちが、白い石膏であちらこちらを塗りたくる。マンホールの凹凸、メシ屋のお品書き、駐車違反のタンクローリーなど。横断歩道の黒いところなんか真っ先に狙われ、おまけに上からニスをかけられた。一通り塗り終わると、作業をしていた信者は余ったシンナーを豪快に吸引して卒倒した。

 ふとルヅは、店の外に停めてあるバイクに手を出されでもしたら、そいつは問答無用で殺さなければならないことに気付いた。

 一方ユコは窓の外には目もくれず、毛むくじゃらのよく分からない生物にブラシをかけながら、一人で笑っていた。

「ふふふ、そんなに血のにおいが染みついた手が好きですか……」

「お~寒気がするわ、気持ち悪い奴が気持ち悪い顔して、気持ち悪いこと言いよる」

「黙れ!」

 舐め回していた手で急に拳を作られたので、毛むくじゃらの生物はものすごい勢いで萎縮した。

「はあ。どうもオレには、アレの言う弟というのが、ヤツの妄想上の存在なのではないかと思えてならない。もう十年は付き合っているが、弟の話をする時のヤツは、決まって目がおかしい」

 まあいつもおかしいが、とルヅは相変わらず檻の中のネコにちょっかいを出し続けながら付け加えた。しかしユコは何かに反応して、ようやく不愉快な客の顔を目だけで見た。

 この場合、彼女が気になるポイントは三つあった。一つ目はルヅの靴下のはちゃめちゃな色、二つ目はカブトムシのエサにホットケーキが指定されていること、三つ目はあの水槽で泳いでるネズミがどうやら商品ではないらしいということ。それ以外であえて言うなら、実はこの男と自分がそれぞれキリウと出会った時期が案外近いらしいということが、ユコはほんの少し気になった。彼女がキリウに拾われたのも十年くらい前だったからだ。

 けれどルヅの疑いは的外れの言いがかりだし、何よりルヅは動物など飼っていないし、飼う気もないのにこの店へ来ていた。そんな男の言うことをそれ以上考えるユコではなかった。

「おい店員よ、なにこれは」

「新商品のエサ用ネズミ」

 ネコの次にルヅが惹かれたそれは、四肢の無いネズミの写真が印刷されたパッケージをしていた。だいぶ横柄な態度で声をかけられたユコだが、彼女は実際に店員なので普通に答えた。

「これは?」

「エサ用の昆虫」

 そちらはネズミと同様に脚の無い虫のパッケージだ。このシリーズは最初から、手や足が生えないよう材料の遺伝子に手が加えられているのだ。どちらも、そのままだと抵抗を感じる若者などのために開発されたのだった。

 ルヅはその箱をしばらく眺めていたが、これを企業努力と呼ぶなら我々は高望みをしすぎた、と適当に思って棚に戻した。げっ歯類や虫けらの尊厳が踏みにじられることは、今更ルヅに何の感慨も与えなかったが、彼は虫が嫌いなので、これを良い商品だと受け取っていた。

 彼はこの世界に宇宙という概念がないことを知らなかった。

 もしくは忘れていた。

「なに、トラン。これ食べたいの?」

 ユコの肩にへばりついたまま、小動物用のナッツが陳列された棚をトランが脚でつついていた。この店にあふれている愛玩動物たちのような毛皮・羽毛のかけらもない頭をユコにすりすり撫でられて、その変な生物は、白い骨質の身体を縮こめる。これは別に嫌がっている仕草ではない。

「ずっと気になっていたが、そいつはなんなんだ」

「トラン」

「甲殻類とかか? 頭のそれは耳なのか?」

「わあ、外がまぶしくなってるよ」

 そんなことより、すでに大通りのキャンバスがほとんど真っ白に染まっていたことに気付いて、ユコは明るい声を上げた。一人の少年の夢が、日陰者の街の日光反射率をいつもより少し上げたのだ。その景色はまるで、この世界の誰もが知っている不毛な地平線のようだった。

「あ? オレのバイク!」

 血相を変えて外へ飛び出していくルヅを見送って、トランはぐちゃぐちゃに噛み砕かれた昆虫ゼリーの抜け殻を吐き出した。そういえばキリウいなくなってるけど、彼は夢を見たままどっかいった。