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28.闇の中へ

 耳元で弾けた爆発音にキリウ少年が目を覚ますと、ちょうど横っ面に白い羽虫がぶつかってきた。そのまま、彼は座っていたパイプ椅子から転げ落ちた。

 どうやら眠ってしまっていたようだと、キリウは遠く薄暗い天井を見上げて思い出した。この空間が街外れの第四十六倉庫であることも。けれど、ここで行われていた何かのことは思い出せなかった。

 爆発音は気のせいだった。周囲には何もなく、ただ湿った空気の底に彼の精神だけが転がっているようだった。ここは倉庫、街外れの第四十六倉庫、しかし倉庫? 第四十六?

 違う、とキリウは思った。それは架空の記憶であり、この街にそういう場所は無かった。

 軽くも重くもない身体を起こして辺りを確認すると、どうやら彼はビニールハウスの中にいるようだった。天井も別に高くなくて、半透明の幕の外は星降る夜だ。キリウは自分の手を見て、自身がキャベツであることを知った。

 しばらくするとトマトになった。

 箱詰めされて出荷されて、街外れの第四十六倉庫に運び込まれた頃には、キリウは自我を失っていた。だが、もともと意志薄弱なところがある少年だった。今更自我が無くなろうと大して変わりはしない。それこそ大昔からずっと、流され続けて生きてきたのだから。

 流されるだけのモノに世界は優しかった。へたに逆らうよりはよかった。

 やがて倉庫にチンピラがたくさんやってきた。彼らは大きな布袋を運び込むと、冷たくてだだっ広いコンクリートの床の真ん中にその中身をあけた。中から転がり出てきたのは、手足を縛られた少女だった。これは犯罪のにおいが!

 すると実際に目の前で犯罪が行われ始めた。キリウは自我を取り戻すと、積まれたドラム缶の隙間に隠してあったサブマシンガンを引っ張り出した。そして犯行現場に急行するなり血走った眼をして何やら叫びながら、引き金を引いた。

 殺した方がマシだ! 殺した方がマシだ! 殺した方がマシだ! 彼の頭の中で響く声は誰のものでもなく、書類を持って列をなしたチンピラ達は、悲鳴ひとつ上げず順番に倒れていった。なんで保護者のサインを偽造するのに仲間内でやらないでわざわざ女の子拉致してきた!? 理不尽に負けないように、ターゲット全員が死んでも彼は撃つことをやめなかった。途中で女の子が脱皮してチンピラになったので一緒に撃ち殺した。

 やがてサブマシンガンから放出された空薬莢が山をなし、キリウも死体も倉庫も全部飲みこんで液状化して黄金色の海となった。金属光沢の真ん中で、キリウは巨大なテディベアを見た。そいつは誰かの声で言った。

「目が真っ赤だよ、キリウ」

 そんなこと分かってる、とキリウは思った。先程から彼はずっと両目を手でこすっていたが、そうしないと何かが出てくるような気がしていたからだ。それと目が赤いのとは何の関係がない。彼の瞳が赤いのは急性結膜炎の後遺症だった。ずっとそう言われて生きてきた……。

 気が付くと虫の翅音が響く部屋の中で、キリウはそのテディベアに背中を預けて座り込んでいた。

 ――キレる若者の増加、とても深刻な問題です。どう思われますか? 民俗学者の山田さん。

 ――ええ、それは非常に嘆かわしいことですよ。若者ゆえの視野の狭さが、目の前の問題に対してブチギレるという解法を導き出してしまうんです。より広く厳しい世界があるということを、彼らは身をもって知るべきです。そして愛に触れて人は変わってゆく。彼らは被害者なの。現代の病気よ。愛の力をお見せするわ、エネルギーをチャージする時間をプリーズキルユーポンデリング。

 ――解説はマクロ経済に詳しい配管工の山田さんでした、ありがとうございました。この番組では明日から、若者を対象とした診断書のチャリティーオークションを企画しています。お支払いは皆さんの愛です。ぜひ最寄りの診療所を訪れたのち、奮ってご参加ください。明日から始められる愛の運動です。

 愛を込めなくたっておいしいものはおいしいんだバカ、それならいっそ愛のない手料理がいい、愛なんか重くて苦しいだけだから……。

 そう言って目を伏せた弟の姿が急に視界に炸裂して、キリウは海外青年協力隊の山田さんのことを忘れた。心が偏った。

 正気になってよく見てみると、そこはキリウにとって見覚えのあるようでない子供部屋だった。正確には正気ではなかったがどうでもいい。それより彼は、なぜか自分が向こうの本棚の中身を知っている気がした。そこの勉強机の二番目の引き出しに、エンピツを削ったゴミがたくさん入っているはずだと思った。

 あと、鳩が一羽歩いていたが、それはあまり気にしないでキリウは立ち上がった。部屋の隅にマンホールを見つけたので、特に何も考えないで蓋を開けた。背後でテディベアの腹が裂けて、ボールペンのキャップが大量に出てきたのも気にしなかった。でもそれは見てなかったからで、見てたら気にした。そのまま、何があっても自分はもう一度笑うことができるのだと無邪気にも信じ切っているような顔をして、彼はマンホールの底知れない闇の中に身を投げた。

 誰もいなくなった子供部屋の中で、残された鳩が所在なさげにポポーと鳴いていた。