もどる TOP

27.バイオレント散歩

 右手薬指の爪が割れていることに気がついたユコは、脈打つように痛む頭で、いったいどこでこうも微妙なところを引っかけたのだろうと思った。思っただけだ。どうでもいいのですぐにそれはやめた。

 こんなひどい街で、真夜中に独り外をうろついてる女の子はユコだ。こういうのは女の子の母数に含めない方がいい。だがひどい街だから。若いうちはやりたいことをやった方がいい。やりたいことさえやりたくなくなる時がいつか来るのだから。

 ここは、場所柄どうしてもシャッターが頑丈な深夜の商店街であった。路傍で需要のないストリートミュージシャンの男が、反応しづらい歌を叫んでいる。ゴザの上に怪しいものを並べた老人が、起きているのか寝ているのか分からない顔で店番をしている。あっちでコスプレをしたピチピチギャルの集団がブレイクダンスの練習をしているが、あれはああ見えてプライベートでは近年随一の暗殺集団だから近寄るべきではない。数少ない飲み屋の灯りは妙に健全だ。商店街は目を開けたまま夢を見ていた。

 そんなことよりユコは罰当たりなので、ササクレがすごいでよ。彼女の背中から肩にかけてへばりついてる骨精霊のトランは見た。

 ユコは塩ビパイプを片手にぶら下げて歩いていた。塩ビは耐水性に優れている。その手は血と砂埃で汚れていた。また、ツンツン跳ねた頭髪の下に軽い切り傷があり、そいつが物理的頭痛を引き起こしていた。

 この程度ならばよくあることだった。ユコには常に生傷がある。治ってもまたすぐにどこかをケガするのは彼女が強くないからだが、反面ある程度以上大きなケガをすることがないのは彼女が強いからだ。しかし傷つくことをやめられないのは、彼女が弱いからだ。そしてこの世は強いとか弱いだけでは語れなかった。

「水道局の方から来ましたんぐ、カルキ安いよカルキ」

 背後で発された男の声にユコが脳内ナンプレを中断して振り返ると、そこには塩素臭い男が立っていたため、彼女は勢い良くそいつを殴り倒した。塩ビパイプを持っていない方の手で顎を打ったが、狙いが過ぎて前歯で手の甲が少し切れた。

 すると、近くの細い横道からスタイル最悪のオカマが飛び出してきて、こう言った。

「水道局最高~~!! ※十八歳未満を除く」

 やはりユコはそいつを、今度は尻に塩ビパイプで振り子打法して、ひっくり返ったところを腹にヤクザキックかました。先の男も呻いていたのでヤクザキックかました。しかし突き出した足を奇声混じりに手で掴まれたため、彼女は眼下の塩素臭い頭めがけて塩ビパイプを両手で振り下ろした。

 軽いような重いような残響と、破裂した男の頭の残骸から溢れ出す水道水の真ん中で、ユコは気分が疲れた。その横へ、木の枝に留まろうとする鳥のようにキリウ少年がぺすんと飛び降りてきた。

「遅かったか」

 そう呟くと、彼は露店の老人からACアダプターを買い叩いた。そして片足立ちをして風見鶏になると、修学旅行を潰す方法を本気で考えた。

「……キリウも水道局?」

「浄水器あるよ」

「いらない」

「そんな」

 それで極彩色の蝶の標本を差し出して赤面するキリウを見て、ユコはなぜか笑った。受け取って、笑ったままため息をついた。

「……」

「なんでこんなツライんだ、俺はツライ。脳みそが液状化してるようなヤツだなって本当は思ってるんだろ。だけど社会では、騙されたヤツが悪いんだって、俺も知ってる。ユコはカルキに負けるなよ」

 浄水器の在庫の話だ。

 それに気づいたユコは、気づこうが気づくまいが、老人の露店に塩ビパイプを売り払ってはした金を受け取った。背中でトランがあくびをしているのが空気で分かったが、彼女はモノグロが眠っているところを見たことがなかった。

 その後、公衆電話を見つけるなり、よその街にある実家へ無言電話をかけ始めたユコを、キリウは離れたところから見ていた。彼女の手元に積まれた、先程のはした金が消えるまで。