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25.UNKNOWN

 幻聴が鳴り止まないよー! パチパチと何かが弾ける中、キリウ少年は目を血走らせながら電波塔へ向かっていた。たいていの電波塔は街から完全に外れた場所にあり、彼の目的地もまたそうだった。整備されていないがれきの大地を渡ることのできる移動手段は、残念ながら己の脚のみ! ギプスの上から包丁を突き立てて男が「うるせーッ俺は今度の大会に賭けてるんだー……先生ー……俺のアシはいったいどうなっちまったん」「あっナースが運んできたアツアツシチューが将来有望な!」。

 電波塔の監視――その怪しいアルバイトがキリウに課したのは、七日に一度以上のデータ送信だけだった。七日以上の間を空けたならば即座に解雇。自殺した前任者(ろりこん)からの正式な引き継ぎが完了した後、彼に郵送されてきた薄い封筒が、そう言ってた。

 その程度のペナルティが何なのか、そんなものが金になる仕組みは、キリウの知るところではなかった。根本が成長することのない永遠に幼稚な精神では、自分の枠を超えた認識をすることが困難なので、ほとんどの悪魔は永遠に搾取される側から抜け出せなかった。小遣い稼ぎに犯罪者の使いパシリで薬を売ってはトカゲの尻尾切りに遭う、万年半殺しの日々、そんな日々からすれば夢のような話だ。

 それでも銀色のリンゴの件で電波塔を放置していたのは、気の緩みに他ならない。楽な環境に慣れれば慣れるだけ、際限なく人は堕落するのだった。

 げ、幻聴が鳴り止まない。線路沿いの歩道をチャリで飛ばしてきて、直線距離で一番近いところまで来るとそいつを乗り捨てて、キリウはがれきの上を器用に走っていた。たまに脚が三十本くらいに増えることが、こんなにも役立つとは思わなかった。電波塔まで爆進するその影は戦車そのものだ。永遠の戦時下精神が孤独をチョコレートに変えるメソッドを実行している者にとって、反戦家の脅迫は日常茶飯事だった。

 しばらく行くと、彼は進行方向にぽつんとたたずむ黒い人影を発見した。

 脚が三十本もある姿を誰かに見られるのは、人生をドブに捨てているキリウでも少し恥ずかしかったので、慌てて脚をぶちぶちむしって捨てた。そして、どうしてこんなところに人がいるのかと変な顔をしながらようやく人間っぽい形に戻ると、そいつの前で立ち止まった。

 しかし現実はいつでも厳しい。

「水道局のかたですか?」

 返事がないであろうことを承知で、キリウはそいつに挨拶した。もちろん何も返ってこなかった。なぜならその人には口がなかった。目も鼻も持ち合わせておらず、あまりの返事のなさに人格を認めることは困難であった。

 何よりそいつは本当に真っ黒な人間だった。空間に穴が空いたかのように、真っ黒い人影が突っ立っていた。

 キリウはじろじろそいつを眺めながら、そういえばこういうものの噂を聞いたことがあるなと思った。それを話してくれた人はヤク中だったが、年がら年中黒い人影に付きまとわれているようだった。娘の七五三の写真にそれが写り込んだことをきっかけに、彼は千歳飴の赤い色素に立候補した。

 それより幻聴が! 鳴り止まない! ギブミーチョコレート、ギブミーシベリア、耳鳴りと鼓動が混じり合って何かが聴こえる。目の前にあるものも幻覚かもしれない。少年はその人影を迂回して、また走り出した。そんなものより大切でよくわからない用事が彼にはあった。電波塔の監視を差し引いても――。

 人間っぽくない姿に変形しながら去っていくキリウを無い目で追って、黒い人間はゆっくりと身体の向きを変えた。ように見えた。作業を終えた少年が、電波塔のてっぺんでカラオケして戻ってくる頃、そいつは姿を消している。夜の闇に紛れて見えないだけかもしれないが。

 あと、電波塔の操作盤を砕かんばかりの勢いで殴りまくって、血まみれになった手を見て、キリウは何してんだ俺と思った。真っ赤になったガラスの上で、三角の白い虫が何匹か潰れていた。