もどる TOP

175.虚ろなる歌

 踊ろう、跳ね回ろう、灰色の空の下。兎跳びしろ、常識が変わるまで。

 ぼろぼろに腐食したレールの脇を、エンジンの震動だけで枕木もろとも砂にしてしまいそうなメイヘムが走っていた。基質を燃料に変換して走り続ける機械は、さながらこの世界を食っているようだった。

「キミってさー。ずっと電波塔壊してんの?」

 悪い加減にハンドルを握っているI.D.が、ドライアイ気味の目で前方を凝視したまま隣のキリウ少年に話しかけた。彼女は、キリウがあちこちの電波塔を訪れては破壊工作をしていることにビビっていた。

 以前にI.D.が話の流れでワケを訊いた時、キリウはまるっきり電波を受信した顔になって、「地上のオブジェクトが減れば中央の負荷が減る」と答えてくれた。もちろん誰にも意味が解らなかったし、I.D.もまたキリウが故郷の変な風習の話をしてるんだなぁとしか思わなかった。とはいえ彼女自身行く当ても無く、退屈で腐り落ちそうだったので、ノリで付き合い始めて早数週間。

 これでも当初に比べればだいぶマイルドになったのだ。I.D.が出会った頃のキリウの破壊工作は、電波塔を壊してから見境なく飛び降りて大けがをするまでがセットになっていて、もっと意味不明だった。メイヘムに血の味を覚えさせるなとI.D.が文句を言ったからか、やめてくれたのはよかったけれど。

 案の定というか返事が無いので横を見た彼女は、閉口した。キリウの両耳が、彼の手の中の携帯ラジオから延びた出力装置で塞がれていたからだ。何も問題は無い。I.D.はその程度でゲルモンテする無政府主義者ではなかったし、むしろ心ゆくまでネルネルされたいくらいだったからだ。

 あれはキリウの日課だ。I.D.が観察した限りでは、キリウはひたすらペンで紙に何かを書くこと以外では唯一、毎日適当な時間に必ず左から右までラジオのチャンネルを回すという趣味を持っていた。まるで溝に落ちたガラス玉を探すアナクロ神のように。

 待ってればすぐに終わるはずなので、I.D.がU軸の直交するところに居るクジャク(ブロッコライ)と交信しながら待っていると、その通りだった。作業を終えたキリウは、耳から外した出力装置の継ぎ接ぎだらけのコードを畳み、何も楽しくなさそうに世界の隙間に押し込んでいた。

 I.D.は、電波塔を壊すこととチャンネルを回すことのどちらがキリウの業なのだろうと思って尋ねた。

「ねー。いっつも何聴いてんの?」思っただけだ。

 なのにキリウが心底びっくりしたように振り向いたもんだから、I.D.もびっくりした。キリウは泳ぎまくりの目をして、つっかえながらオウム返しした。

「な……な、なにきいてんの?」

 今の世界ですら、これより無意味なものを見つける方が難しいくらいのオウム返しだった。それはジェラシーか同情か、はたまた十年前の夢日記か。いずれにせよ、こんな返事ならしない方がマシだと昔の偉い人も言っている。

 I.D.は思わず噴き出した。こいつは趣味を訊かれたら取り繕うタイプだなと決めつけた彼女は、神経質なスピーカーを車載ラジオに切り替えて笑った。

「ほらっ、こないだチューナー直したんだよっ。でもさー、直ったのに壊れてると思ったら、周りの局が全然無いだけでやんの。なんか聴く?? あ、懐メロだあ」

 彼女が回したチャンネルの半分くらいはノイズだったが、それでもこの辺りは、他所より番組が多い方だった。いまどきラジオは流行らないのか、近頃は昔に比べてずいぶん局が減ったようにI.D.は感じていた。――列車の運行情報。そこのボロボロのやつとは別の、隣の路線の。一本ズレるだけで何食わぬ顔で動いてるから。

 だというのに、なんでか急に落ち着き払ったキリウの返事はこうだった。

「べつにいいよ。I.D.がかけてる曲が好き」

 このときI.D.は、反射的に「つれねー」と毒づきかけた己を恥じた。そして大きな一つ目を三日月形にぐんにゃり曲げて、この上なく満足げにこぼした。

「キリウ君は好い趣味をしているね」

 モノグロのこんな笑顔を見た人間が世界に二人と居るだろうか。居ない。I.D.はきっと今日この言葉を聴くために、手元に残っている全ての音源を、自分以外に聴く者もいなくなった音源たちを、人知れず新しい記録媒体に移し替え続けてきたのだと思った。

 それからスピーカーをオーディオに戻して、ずっと、ずーっと走った後のことだった。

 ある曲が流れ始めた時だ。何の前触れもなく、キリウがペンを握った手を止めて呟いた。

「サイモ」

 間。

「知ってんの!? サイモネ」

 ほとんど叫ぶようにI.D.は反応した。サイモネこと『サイバーマリモネット』、500年以上にブロック607のアンダーグラウンドシーンで台頭したバンドだ。声と顔がキモイと言われつつもハードな世界観と文学性が評価された彼らは、映画タイアップのラブソングでヒットし、一時期はチャートの常連となる。大衆から飽きられた後も変わり映えのしない音楽を続けた彼らは、メーソン/メーランきょうだいの不仲によって解散するまで、それなりに幸せなバンド生を送ったと言えよう。

 しかしキセル乗車以外でこれといったスキャンダルの無かった彼らにも、まことしやかに付いて回った一つの噂話があった。それは、鳴かず飛ばずだった彼らがある時期から急速に存在感を増したことの背景にまつわる噂だった。「番組表に無いラジオ番組で『サイモネ』の歌が流れていた」「めっちゃ流れてた」――この噂は、後年のメーソンがインディーズ時代にソロ音源を違法ラジオ番組に投稿していたことを認めたことで真実となった。彼はバンドの音源を投稿した疑惑については、最後まで否定を貫いたが……。

 それは立場上認められなかっただけなのだと、I.D.は今でも信じている。いや、知っていた。なぜって?

「ラジオで聴いた。最初の頃のやつ」

「へへへへ。あれに早くから目を付けていた番組が、そんなにあったんだ」

「いつ、どこでやってるか、分かんなかった」

「何が?」

「毎日探してた。番組……妖精の」

 キリウのその言葉を聞いた瞬間、ふいにI.D.の目が据わった。

「あのさー、キリウ君。その番組って、もしかするとさ――」

 ゆっくりと自分の口から飛び出してゆく言葉を他人のもののように聴きながら、I.D.はかつて自分たちが三人だけで作った違法ラジオ局のことを思い出していた。ラリった頭の中で、瞳の中で、思いっきり巡り出していた。自分がそれのエンジニアをしていたこと。妖精たちのギャーギャーした喋り声。初めての放送で大顰蹙を買ったこと。リスナーにかぼちゃを送り付けた日のこと。メーソンが熱心なメッセージを添えて、大量の音源を送ってきた時のこと。

 最後の日、リスナーから送られてきたマンドラゴラをそうと知らず放送中に引っこ抜いて、D.J.とアシスタントがいっぺんに死んだことも。