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165.続・少年と天使の夢

 最初だからこそ妥協したくない気持ちがずっとあったが、味が判らないのは、まぁいいかという気にもなってきた。うまくもまずくもない昼食を、ニコニコしながら一緒に食べてくれる子がいるだけで、それなりに癒される。明らかにまずいものをまずいと言えないのは問題なので、基本的には風見鶏でいいか。

 負荷テストは色々と計画したものの、実施するとなると相当心が痛い。人形が持ち主を見放すことなどあってはならないと思っていたけど、やっぱり人形にも持ち主を選ぶ権利は必要だ。身の危険を感じた時に限っては、自分からリンクを切れる機能を用意する。

 こう実際に動かしてみると、ところどころオーバースペック気味。自分の友達にするならそれでいいが、外に出すには精密すぎる。いや、友達にしたいし、当面は外に出すつもりがあるわけじゃないけど。そろそろ全体のバランスを取ることに注力しないと。

 ――‭D576年 某月 某日‬

 

 

 とーかなんとか甘い顔してたら結局五日間も閉じ込められていた。くそ女ヘンタイ女きちがい女、即刻ロリコンの発作で死ね。ロリをノドに詰まらせて死ね。足の小指をぶつけた罪悪感で死ね。

 とーかなんとかキリウ少年が呪詛を唱えながらミシマリに顔面セーフしなかった拳を開いて、自分に向かってピースサインを作っていたのも、今朝の話。

 キリウは、気が付くといつも夕暮れの中にいるのだ。本当のところはどうであれ、感覚的にはそんな気がしていた。その夕暮れの中でどんな楽しい遊びをしているのかと言えば、数を数えること以外には特に無い。キリウの両手の指と脳みそは、がれきを数えるには足りなくて、虫を数えるにはちょうどよくて、罪を数えるには多すぎる。……二進数で。

「ここね、むかしはもっと、お花がいっぱい咲いてたんだよ」

 小さな街のすみっこの、もっと小さな公園のベンチの上で、明後日の方向を指さしてコランダミーが言う。その細い膝の上に、ぐったりしているトランを横たえたまま。数える必要の無い彼女は、今日も今日とて相変わらずの調子で本当に良かった。

 キリウはそんなコランダミーの隣で、どっちだろう、と真面目に考えていた。コランダミーのお花がだ。彼女のセカイには二種類の花がある。白いがれきの上、もしくは都合の良いシリコン製の脳みそに咲いてる花と、そうでない花とだ。どういうわけか、街を街たらしめる舗装からはみ出したところに無理やり作られたようなこの公園では、がれきの上に咲く花ばかりなのだろう。

 過去の話と言えど油断はできないのだ。ミシマリいわく、人形は『持ち主』に合わせて自分を設定してゆき、その過程で作り上げた人格や思い出を本当にみずからのものだと思い込むスペックになっているのだそうだ。今のコランダミーは彼女自身、生まれつきそのような景色が見えていたのだと思い込んでいる可能性すらあった。

 仮にそうだったとしても、キリウの彼女に対する気持ちは、最後に列車の席を立った時から砂鉄一粒ほども変わりはしないのだが。

 ベンチの向かい側では、錆びきって倒壊したブランコが世界の果てから吹く風に赤茶けた四肢を曝していた。そのまた右手側には、白くてねじねじした謎の物体が立っていた。更に更にそれらの遠くでは、例の警戒色をした柵の行列が端から端まで立ち並び、やる気が無くなるような瘴気を放っていた。ここから見える風景の殺伐とした雰囲気は、冷たさよりもとっ散らかった印象が強すぎる。

「箱庭みたい」

 街を想ってか公園を見てか、なんとなくキリウは呟いた。どっちだと思ったのか、コランダミーは嬉しそうにうんうんと頷いていた。うつ伏せのトランの背中の羽が彼女の頭と一緒に揺れていた。

 ――キリウが数日ぶりに顔を見たコランダミーは、以前と何ら変わらぬたんぽぽぷりだった。コランダミーはミシマリにバックアップを取られたあと、内部的に発生していたエラーを一旦は修復してもらった状態だというが、間違い探しの苦手なキリウにはまったく違いが分からない。

 二人はここにいる。一緒に街に散歩に出てみたら、コランダミーは数百年前の記憶でキリウのためにガイドしてくれた。もちろん九割は影も形もなくなっていたようで、彼女はあれが無いこれが無いといちいち遺憾の意を表したり、それはしょうがないと迎合したり、どれが気に入ったと歓迎したりした。

 そんな中でこびり付いていた残りカスの一割が、この公園らしかった。一割というのは大げさではなく、実際、ここは本当に小さな街だった。逆にミシマリの家が大きく感じるほどの所狭さだった。学校……そうだ、昔どこかの街でキリウが敵の敵の妹の仇を探して立ち入った、庭園があって祭壇があって運動場に大穴が空いてて、いくつも建物が建ってるような広い学校。あの硫黄臭い敷地内に、この街全体が収まってしまうに違いない。

 公園の右手側には、抜け感のある火の見櫓のようなものが立っている。がれきの上で辛うじて倒れていないその天辺で、黒い白衣に身を包んだ二人の男が双眼鏡を覗き込み、何やら話し込んでいる声が聴こえてくる。

 かようにキリウは、この散歩で数名の住民らと遭遇してきたものの、誰もかれも二度見したくらいでは何をやってるのか分からない人々ばかりで、三度見しなければならなかった。おまけに彼らのほとんどが、四度目は好奇に満ちた目で見つめ返してくるので、恥ずかしくてキリウは何回も飛んでいきそうになった。

「トランちゃん、ぺたーんとしてるね」

 トランも。膝の上でへちゃれてるトランの背中を、なんかかわいいこと言ってるコランダミーが、小さな白い手でのんびり撫でている。トランはこの街に来てから何故かずっと怯えていたので、不憫に思ったキリウが早々にコランダミーの鞄の中に避難させていたのだった。今日はようやくミシマリの実験動物を見るような目からも解放されて、外の空気を吸わせてあげようと思ったのだ。

 こいつもこの街が苦手なんだなと思うと、キリウは半端なく邪悪な気持ちになった。そしてトランを見つめたまま、そのことを完全に忘れて呟いた。

「俺さ、コランダミーの持ち主にはなんないよ」

 それを聞いたコランダミーは、にこにこして振り向いたっきり固まってしまった。

 したらば露骨にショックを受けた顔になったコランダミーが、露骨にショックを受けた声で叫んだ。

「なんでー!?」

「なんでって」

 頭上で大声を出されてびっくりしたトランが、猫のようにキリウのほうに飛び出してくる。それを受け止めてキリウは、明るい方に歩いてっちゃう虫のように笑った。

 キリウがいま外を出歩いているのは、ミシマリの作業の目処がついたこと以上に、コランダミーと『この話』をすべきだとミシマリに言われてのことだった。ご飯を食べながらする話じゃないでしょぉと気を遣ってくれたようだが、つまるところミシマリは、キリウがこのために解放されたからといって――戻ってこなくなるような底抜けのヘタレ野郎ではないことを期待しているのだろう。あるいは仮にそうだったとしても、唐揚げ弁当とかで連れ戻せると思っているのだろう。

 どちらにせよキリウもここで逃げるような弱虫にはなりたくないと思っていたし、仮にそうだったとしても、遺産相続の話をする以外では連れ戻される気も無かったのだが。

「ちが……違うよ、逃げてない。モノが嫌とか言わないし、付喪神を信じることにしたワケでもない。完璧に分かってる。ただ」

 まるで自分自身に説明しようとして、つい弁解してしまうキリウは迷子だった。けれどキリウは、迷子を見るような目をしたコランダミーをまっすぐ見つめ返して言った。

「コランダミーが生まれてきた理由が、すっごく素敵だと思ったから」

 それはキリウがこの街に来た日から、確かにずっと心の中にあった言葉だった。

 ――『この世界に少しでも幸せを増やすため』。ミシマリをどうしても好きになれないというカルマだけを核融合炉に投げ捨ててくれば、キリウがそれを尊いと思う気持ちは、サファイアよりも誠実でルビーよりも紅かった。

「だから、これからもコランダミーは色んなとこ行って、たくさんの人を幸せにしてほしいなって」

 とーかなんとか言っても、一方のコランダミーは、もちもちほっぺたを惜しげもなく膨らませて神妙に考え込んでいる。そのうち彼女は、ほうっとした顔で隣のキリウを見上げて尋ねてきた。

「む~~。キリウちゃんは今、しあわせ?」

「わりとね」

 キリウはトランを肩の後ろに引っ付けて、コランダミーに口を挟まれる前に続けた。

「ていうか、俺ばっかりハッピーにしてどうすんのさ。建設的じゃないよ。ただでさえ何百年も、もう居ない奴を持ち主にしてんのに」

 言いながらキリウはふいに、ミシマリが怒ってるんだか怒ってないんだか分からん厄介な態度を取り続けてくる答えのひとつを見つけた気がしたが、そんなことはどうでもいい。

「キリウちゃんは……」

「ほんとはね。ずっとあいつのコランダミーでいてほしいんだ」

 不満げにキリウを見つめていたコランダミーの大きな瞳が、じわりと潤んだ。

 居なくなった人間の影を踏もうとしていたのは、キリウだけではなかったのだ。このプラスチックのハートを持つ人形は、職務を果たせなくなり、カウンタがオーバーフローしてもなお『彼』の所有物であることをやめることができなかった。そのように作られていたからだ。そして、その時いったい彼女がどうすればよいのかという答えは、この世のどこにも無かった。

 同じなのだ、コランダミーも。迷子が迷子と遊んでただけ!

 でも、それはきっと悪いことじゃない。

「あいつをひとりにしないでくれてありがとね。ありがとね……俺を見つけてくれて。トランとのことも。ほんとに」

 言葉に詰まったキリウの隣で、コランダミーは黙って目を閉じたまま、置きっぱなしのメトロノームのように傾いていた。ぷらんとした爪先が、がれきに咲く花の頭を踏んでいて。

「大好き」

「あたしもキリウちゃん好きー!」

 聴くが早いか、ぱっと顔を上げて応えたコランダミーの全身から白い花が咲き乱れ、光り輝く天使の羽が舞い散った。まったくいつも通りの調子をしたコランダミーの満面の笑みに、キリウは瞳が灼け、胸の奥が熱くなった。

 そのまま二人はしばらく視線を繋いでいた。それは十数秒に耐えられなくなったキリウが笑い出すまで続いた。その後も二人は飽きるまでクスクス笑い合って、ぜんぜん成功しないテレパシーを試みて、しばらくハシャいでいた。

 やがてどちらからともなくベンチから立ち上がった頃には、空の端が濃紺に染まり始めていた。ここはとても静かで虫の鳴く声すら無く、辺りを包んでいるのは、見えない花が擦れ合うかさかさとした気配だけ。火の見櫓の上にいた男たちも、いつの間にか姿を消していた。帰るべき時間なのだろう、心の中でチャリのベルが鳴っている。

 でもキリウはまだ戻りたくなかった。もう少しここに居たいと思っていた。握りしめていた指を解いたキリウの手の中から、数枚の天使の羽がこぼれ落ちる。かすかな光を放つそれらは弱い風にさらわれて、公園の残骸を越えて転がるように飛んでいく。

 その先にあったものを見て、キリウは急に思い出したように言った。

「そういやさ、あれ何?」

 なんでか、本当はずっと気になってしょうがなかったのだ。

 そこ――すみっこのすみっこ、街のすみっこの公園のさらにすみっこ。もしかしたら、世界のすみっこ。そこに立ってる、真っ白でぐねぐねとねじれたよく分からないオブジェの話だ。

 キリウは自分の背丈よりも高さがあるそれを、力任せにねじ切られた巨大な千歳飴だと思っていたが、実はもっとスピリチュアルなものなのではないかとも思っていた。でも、どうしてそう思うのかはキリウ自身には解らなかった。

 ふらふらとそれに近寄っていくキリウの肩から、いつの間にかトランが飛び退くように離れ、その下をぽてぽてとコランダミーが駆け寄ってくる。作品名か能書きを探しているキリウをよそに、コランダミーはいつものすっぽ抜けた顔で、なんだか懐かしそうに答えてくれた。

「ごしんたい」

 御神体?

「うん! むかしね、お祭りのときに飾りつけてあそんだの」

 そりゃぁ青天井のスピリチュアルだな、とキリウはうっかりアストラルな気持ちになった。……うしろでトランがギイと鳴いたのを聴きながら。

 そのオブジェは、錆びた杭と太い縄で作られた柵に周囲を囲まれて、大人がやっと横になれる程度の領域の中央に安置されている。縄は随所に白い紙のようなものを挟み込まれており、それが風に揺れて微かな音を立てていた。

 御神体、そう言われてみれば神が宿りそうなディテールをしていたかもしれない。が、キリウの気持ちは冷ややかなもので、ただ「また神様かぁ」と呟いただけだった。そもそもキリウは神の存在を信じていないのだ。でも、疲労からか思わず頬が緩んだキリウを見て、コランダミーもセラミックの微笑を浮かべて答えてくれた。

「たしんきょーだよ、キリウちゃん」

 そんなこと言いつつ、柵の向こうに手を伸ばしてぺたぺたとそれに触りまくるコランダミーは、ぶっちぎりの天使だった。

 この時キリウは、目の前の人形少女にこそ神が宿っているのだと大声で主張して回りたかったし祀り上げたかった。ロリコンだと思われても構わなかった。そもそもキリウは神の存在を信じていないからだ。仮にいるならぶっ殺してやろうと思っていた。

 けれどコランダミーをリスペクトしてそれに手を触れた瞬間、キリウは不思議な声を聴いたのだ。

 それが何を言ったのかは聴き取れなかった。果たして、本当のところは誰が言ったのかも判らなかった。ただ、それは決してキリウの手を拒絶するものではなく、むしろ――。

 待ち侘びていたかのようで。

 

 次の瞬間、触れた手を『握り返され』たキリウは、食いちぎられんばかりの勢いで引っ張り込まれていた。