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164.最果てのロリータお兄さん

 いつの間にか、境界の向こう側に新しい地形が生成されていたらしい。ショウが怪死してから、誰も向こう側を覗いていなかったのが悔やまれる。

 自分も一歩だけ出て確認してきた。確かに今までより、ずっと遠くまで街が生えていた。しかも地平線の彼方まで。ほとんどこっち側みたいに、普通の街と線路が広がっていた。あんなに遠いところを、いったい誰がどうやって観測したんだろう? それとも誰も気づいていないだけで、他にも地形が生成される条件がある?

 ベコが言ってることが正しければ、あの街や線路たちは、生成され続けては消滅し続ける透明な存在だ。それを知らずに誰かが踏み入ったのなら、ずいぶん罰当たりなものだ。向こうにも向こうの電波塔があれば、向こうの人と話したりできたんだろうか。

 ――‭D677年 某月 某日

 

 

 咲きそう。咲き散らかしそう。

 朝から晩までべっちょりと質問攻めにされ、覚えてもいないことを思い出せとソロでコックリさんをやらされ、キチガイじみたティータイムに付き合わされ、まだ調べることがあるからと言って強引に泊まらされ。タダでご飯食べられて、いつになくフカフカの布団で寝られるはずなのに、キリウ少年は爆発寸前だった。ベッドから転げ落ちたまま、見慣れた虫に集られていると、安心してしまう始末だった。

 コランダミーがいっぱいいる夢を見た。製造番号が異なる総勢数十人のコランダミーに、わーいわーいと胴上げされる夢。嬉しかったけど、彼女らの足元には、誤って落っことされてスクラップになったキリウもいっぱい転がっていた。

 そうして、まだ暗いうちに目が覚めてしまったキリウは、部屋を抜け出してふらついていた。外に出られるわけでもないのにだ。けれど、あの可愛らしい箱の中にいるとキリウは、自分が異物のような気がしてもっと落ち着かなかった。年単位で使われていなかったという部屋なのに、呼吸をするたびキリウは空気中に漂う少女分子が全身に結びつく感覚に襲われて、どうにかなってしまいそうだった。

 何も、部屋がキリウを拒絶してるわけじゃない。むしろ風水的には諸手を挙げて大歓迎。どちらかというとキリウの方が、そんな部屋で横になったり髪の毛を落としたりするのに耐えられなかっただけだ。

 明り取りの窓の向こうは暗闇だった。非常灯だけが照らす倉庫の中は、外の冷たい空気が染みてきているみたいだ。この家はよく見ると、あっちこっちに余り物らしき人形のパーツが転がっていて気持ち悪い。ごうごうと空調がいびきを上げる暗がりの中で、断面が剥き出しのそれらは、何の愛想の無いガラクタのようだった。

 メイデンたちがうろちょろしていないと、がらんとした倉庫は日中よりもっと広く感じられた。そこのパーティションとラックをどければシャトルランができるし、端から端まで歩くだけで新しい革靴が靴擦れを起こさないか分かるに違いない。履いたことないけど。

 と、キリウが立ち止まって準備運動を始めようとしたその時だった。

 まただ。この家に来た日の、あのぷわぷわした視線がキリウの肩を叩いたのだ。振り返ると今度のそれは消えることなく、しかしピロピロのように引っ込んでいった。その先には――。

 いつの間にキリウはここにいたんだろう。

 その先には、やっぱり例の奇妙な空間があった。暗いせいでブロックの山が影になり、遠くからは積み上げられたコンテナか何かのように見えていたのだ。そして、そこには今日も『彼女』がいた。ひとりきりで、大きな半透明のキューブの山の端っこに。

 ブロックの上に腰かけたその人は、掴みどころの無い視線でキリウをじっと見て、長い髪を揺らして言った。

「おはようございます」

 男の声だった。

 そうだ。『旦那』なんだった。びっくりしたキリウは、それが顔に出てしまって失礼だったかと気まずくなっているうちにタイミングを逃して返事ができず、もっと失礼になってしまった。

 いくらか迷った後、キリウは靴を脱いでクッションマットの区画に上がった。近寄ってみると、その人……旦那は手に縫い針を持っており、長いスカートの膝の上に置いた白い布の端に、ちくちく刺繍をしていたようだった。よりによってこんな薄暗い場所で。

 この人はずっとここにいるのかもしれない。キリウが何も言わずに見ていると、旦那はキリウに隣に座るよう促してきた。距離感を探りながら座ったキリウに、しかし旦那は、もっと躊躇いがちに声をかけてきた。

「あまり、眠れませんでしたか」

 キリウは今度こそ返事をしたつもりだったのに、寝起きと乾燥した空気とで声が掠れて出てこず、無言で頷いただけになってしまった。

 咲きそう。咲き散らかしそう。思わず積み重なったブロックに背を埋めて、キリウは膝を抱える。ブロックは実際に触ってみるとキリウが想像していたほど柔らかくはなかったが、それが悪いわけではなくて、却って適度な弾力と、さらさらした表面の触り心地が良かった。

 無言のままのキリウの隣で、旦那はしばらく刺繍を続けていた。部屋よりもよほど気持ちよくて、キリウがこのまま眠ってしまおうかという誘惑に駆られていると、またしても旦那が口を開いた。

「申し訳ありません。妻がご迷惑をおかけしています」

 ――まったく想像もしていなかったことを言われたキリウは、どう返せばよいのか分からなかった。朝もはよからキレ散らかす元気も無く、謝られたってしょうがないし、この人が謝る必要も無いのにとすら思っていた。

 旦那は身体ごとキリウに向き直り、眼帯で塞がれていない方のガラス玉の瞳で、今はキリウの左目を見ている。見られてようやく、キリウは自分の左目がどうにかなってしまっていたことを思い出した。まだ赤いままなのだろう。とても美しい造形をした人形の前でそれを思い出したキリウは、自分が醜いカマドウマか何かみたいな気がしてきて、つい顔を背けた。

「外から来た久しぶりのお客様に、とても喜んでいたのに。人形ではないあなたに、あのような無体なことをして」

 ゆっくりとした口調で淡々と続けられる旦那の言葉は、キリウをこの家に来てから一番不安な気持ちにさせている。たぶん、ミシマリに詰め寄られていた時よりもずっと。

「あの人が、ほんとに、あんなに優しい人形を作ったんですか?」

 気が付くとキリウは尋ねていた。やっと声が出たけれど、こんなことを言うために生まれてきたくはなかった。

「はい。特に人形の心の基本モデルは、正常だった頃のミシマリが作ったものです。しかし数十年ほど前から、彼女は心身に異常をきたしています。今の彼女は、全身に不調を補正するための機械を差し込んでいますが、完全な補正は難しい状態です」(※この時、キリウは初めて彼女の名前が『ミシマリ』だと知った。)

「おかしい人なんですか?」

「はい。本当に申し訳ありません。妻にも自覚はあるのですが、彼女自身には、どうにもできないのです。彼女の所有物にすぎない、私たちにも」

 鈴のような声がキリウの耳から心に入り込み、ぎりぎりなところをぎざぎざに動いていく。いまさらどれだけ頭のおかしいアーティストを紹介されても、純粋に作品だけを評価するつもりでいたキリウなのに、この時ばかりはどうしてか、心がささくれ立つのをはっきりと感じていた。

 それはきっと、そのおかしい人が、おかしい人であってほしくなかったからだ。例えおかしい人だったとしても、優しい人であってほしいからだ。

 人形特有の素直さなのか、俯き気味の旦那の物言いは妙にストレートで、夜明け前でなければ聞き流してしまいそうだった。本当にミシマリに自覚があるならば、彼女を異常だと言うこの人形は、壊れていないのなら彼女の良心なのかもしれない。

「……あの人、俺のことは砂袋だと思ってるけど、コランダミーには」

 ほとんど唐突に呟いたキリウを、悲しくて涼しい目をした旦那が見ていた。見られながら、早々に言いたいことが分からなくなったキリウは、無理やり続けた。

「違う。俺のことは……いいです。ほんとは優しい人なんでしょう? それなら、いいんです。でも俺、コランダミーを作ってくれた人のこと、こんなに嫌いになりたくないです」

 吐き出すだけ吐き出してから、キリウは猛烈に後悔した。

 ぜんぜん言葉にならなかった。三つも四つも足りなくて、でも何が足りないのか、それをどう言い表せばいいのかも、キリウにはぜんぜんわからなかった。しかも立場の強くない人形にこんな言葉をぶつけて、ハラスメントがインシデントだった。

 けれど膝を抱えたまま塞ぎ込みそうになったキリウを、そうさせなかったのもまた、旦那の声だった。

「そう言ってくださって、ありがとうございます」

 再び想像もしていなかったことを言われたキリウは、思わず自分の目元を手でぐしゃとやって、その人を仰いだ。するとキリウほどではないが、その人も少しだけ驚いたふうな顔をしていたのだ。

 長身で姿勢の良い旦那は座っていてもなお視線が高く、ここまでキリウは、正面から旦那の顔を見ずにいた。何より目鼻立ちが美しくて、直視するに忍びなかったからだ。だから今、きちんとまっすぐ見て、やっぱり思った。――本当に綺麗な人形なのだな、と。

 ねじのぶっ飛んだミシマリと比べずとも、旦那は作り物らしく表情に乏しかった。もちろんミシマリは、コランダミーのような素敵な笑顔の人形も作れるわけで、ならばこれが彼女が言うところの『ときめき』なのだろうか。旦那のどこかぽやんと抜けた雰囲気は、草か花のようでもあり、キリウは妙な既視感を覚えていた。

 久方ぶりに言葉が通じる相手を見つけた気がしたキリウは、意を決して口を開いた。

「あの、訊いていいですか」

 すると旦那は、膝の上に広げていた刺繍や道具を傍らのブロックの上によけて、キリウに「どうぞ」と質問を促してきた。(※この時、キリウは初めて、たんぽぽの刺繍を施されたその白い布が子供のワンピースだったことに気づいた。)

「あなたは、どうしてあの人の旦那さんなの?」

 いつの間にか、この街よりもミシマリよりも旦那のことが気になってしまっていたキリウは、最初にそれを訊いた。一方の旦那も、この街かミシマリのことを訊かれると思っていたのか、自分のことを尋ねられてきょとんとしていたが、やがて躊躇いがちに話し始めた。

「私は……その、最初から、ミシマリの夫として作られた人形です。妻は、段階を踏んで他人と親密になることが、とても苦手な質でしたので」

 キリウが黙って見つめていると、旦那はもっとたくさん話した方が良いと思ったのか、咳払いをして続けてくれた。

「バージョン1の……最初の私は、『持ち主』をミシマリに固定されていること以外は、見た目も中身も少女でした。もともと、余ったパーツでミシマリが、趣味で作ったものでしたから。以来、少しずつ変更が加えられてゆき、今の私に至ります」

 旦那は、ぽつりぽつりと喋る姿も本当に綺麗だった。遠くから眺めていても綺麗だったけれど、近くで見れば見るほど、キリウは神聖なものを前にしている気持ちになった。旦那の美しさは不思議と他人を惑わすものではなく、意図的にそういう要素を排除して作られているかのようだった。

 いや、ミシマリの人形は、皆そうなのかもしれない。この家に来てから浴びるほどの美少女を見たキリウは、コランダミーも含めて、トータルでそう思った。

 最初、キリウはミシマリが男嫌いなのだと思っていた。現に彼女には広義のロリコンの気があった。だから女性の人形を旦那と呼んでいるのだと想像していたが、かように旦那は男の声をしており、よく観察すると、長い袖の下から覗く手持無沙汰な指先もそこそこ男性的だ。これを夫として作ったと言うからには、あるていど男性性を求めているに違いない。

「じゃあ、あなたはコランダミーのお父さん?」

 旦那は明確に『お父さん』という単語に反応し、首を傾げて微かに笑った。

「それは……。いえ。私は、人形たちの教育係です。でも、皆さんには、そのように言われますね。ミシマリも、彼女は恥ずかしがりますが、皆さん方からは、お母さんだと言われて、からかわれるようです」

 皆さんというのが誰を指しているのかは分からなかったが、淡々とそう言われるとなんだか可笑しく、キリウは駅で見たミシマリの照れ顔を思い浮かべた。

 よく知らない人には、お父さんとお母さんじゃダメなのかなとか思われるかもしれないが、他者との関係性におかしな拘りを持ってしまうのは、外見が変化しない永遠の少年少女にはありがちなことだった。ミシマリもそうだったのだろう。もっとも、自分もそうだということをすっかり忘れていたキリウは、お父さんとお母さんじゃダメなのかな、とか思っていたけれど。

「私は、ミシマリに代わって、人形たちの教育を行う機能を持っています。XDの120番台は、特に神秘性が重視されました。私はXD-123の十四姉妹にも、基本的な学習の他に、そのための教育を行いました。もっとも、その頃の私は大きな蛇だったので、コランダミーは覚えていないかもしれません。コランダミーは、頭を使う作業は苦手だったけれど、失くし物を見つけるのがとても上手な子でした」

 変温動物が情操教育に良いというのはよく言われている。特に蛇は表面積が大きいのでコストパフォーマンスが高い。ミシマリは、色々と試行錯誤して旦那の姿を変えてきたようだ。

 コランダミーを懐かしむ旦那は口調こそ硬かったが、その柔らかな表情はずっと親しい感情に満ちてキリウには映った。同時にキリウは、コランダミーが羨ましくなった。こんな風に彼女のことを覚えていてくれて、こんなに穏やかな顔で語ってくれる誰かがこの世のどこかに存在すること、それ自体が。

「それなら、人形たちはあなたを何て呼ぶの? あなたはあの人のこと、いつも何て呼んでる? 神様? お財布は何色?」

「持っていません。今の人形たちは、私のことを『お兄さん』と呼ぶようミシマリに言われています。私は、ミシマリをどう呼んでも構わないと言われているので、名前で呼んでいます。ただ、低頻度で『マリ』と呼ぶと、喜びますので。そのように学習しています」

「学習?」

「はい。人形は経験から、主人が喜ぶことをするよう、変化します」

 だったら変われない悪魔は、経験から何も学んでないのだ。変わった悪魔は、ミシマリみたいに壊れてるのだ。

 それにしても不躾にあれこれと尋ねるキリウに、旦那は嫌な顔ひとつせず明け透けに答えてくれるものだった。きっと彼なら、どさくさに紛れてミシマリが嫌いな虫とか野菜とか人種を訊いても答えてくれるだろう。でも、キリウはそれはしないでおいてあげた。

 代わりに……キリウはなんとなく辺りを確認して、そっと旦那に耳打ちした。

「あの人のこと、好き?」

 旦那は少し戸惑った風になって、キリウに訊き返してきた。

「それを、彼女の所有物である私に訊かれる意味が、あるでしょうか?」

 キリウは無言で頷いた。すると旦那は、もう少しだけ動揺した声で答えた。

「私は……。はい。私は、この世界のために人形たちを作るミシマリが、好きです。その合間で、私やメイデンたちにも手をかけてくれる彼女のことが、好きです」(※この時、キリウはまだ、『メイデン』が何なのかは分からなかった。)

「この世界のため?」

 思わず鼻で笑ったキリウを見て、旦那はまた申し訳なさそうに続けた。

「すみません。彼女に粗末にされたあなたにそれを信じてもらうことは、難しいですよね。ですが、私の……その、個人的な意見を……言わせていただけるならば。彼女は、困っている人を助けたいという気持ちはほんとうにあるのですけれど、個々人が相手となると、駄目なのです。隣人を愛せない彼女は、自分の思い通りになる人形しか、傍に置けません。それでも私は、この世界の誰かのために人形を作る彼女を信じていますし、支えたいと、心から思っています」

 ――意外と人形っていうのは、割り切った性格をしているのかもしれない。

 旦那のその言葉に、キリウはこの街に来てから最も強い説得力を感じた。それはたぶん、ミシマリが昨日一日ぶちまけた全ての言葉を合わせたよりもずっと。もしかしたらそれを言う旦那の困り顔のために、今日一日くらいはミシマリに付き合ってあげてもいいかなと、うっかり思ってしまったくらいに。

 天井近くの窓の向こうの空が、青く染まり始めていた。光を浴びて、今日も誰かの頭の中で花が咲くのだ。