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161.主いわく……

 眼鏡を変えてから嫌味なほど調子が良い。ラットのケージを引っくり返したが、逃げていく一匹一匹のIDが全て判別できて、余計に煮えくり返った。『見える』というよりは『分かる』感覚だと勘違いしていたが、やはり自分は目で確認するのが向いているのだと思う。触るだとか聴くだとか、インナースペースに飛び込むだとかは、まったく出来るきざしが無い。

 慣れれば慣れるほど口で説明するのが難しくなるというのは本当で、誰に聞いても「やってみた方が早い」とはぐらかされた理由が急速に解りつつある。一旦理解したが最後、何が解らなかったのかも解らなくなり、感覚的な話に終始してしまうのも問題。御神体がくれる知恵に関してはそんなことばかりで、仲間内でも意味不明なのに、外から見たら狂人の集団だと思う。

 ――D554年 某月 某日‬

 

 

 その家のやたらと高い天井は、まるで彼女のさえずる声に削られてしまわないために、そんな高さまで逃げ出したかのようだった。実際のところは、もともと適当な倉庫だった建物を改装して住んでいるというだけの事情らしいのだが。

「それね~~。けっこう考えたんだけどねぇ。とにかく『製造者』以外ならなんでもいいかって気持ちで始めたんですけど、実際に言わせてみると、色々と気持ち的に引っかかるところが出てきちゃって。『お姉ちゃん』とか『お母さん』は生活感が強すぎんだよね、なんか近所の子供みたいでさぁ。『おばあちゃん』だったら、お祖母ちゃんっ子みたいでかわいいと一瞬思ったんだけどね? でも、一応それで呼ばれるあたしとしては……ねぇ~!? いや、『お母さん』もギリギリだもん、ギリギリアウト。それで思いついたのが『神様』だったんですけどね〜〜。ほら。ぶっちゃけ製品的な都合上、あれこれ制限があったり要望に沿えなかったりする理由を、人形から直々に持ち主に説明するとしてさ。神様との約束だから~、なんて小さい子に言われたら神秘的でしょ。純真そうでかわいいよね! それに実際、あたし創造神だし! でもさぁ、いざ知り合いに見られるとなると、さすがに恥ずかしいっていうか……」

 埋め尽くすようなミシマリの話し声を除き、開放的すぎて光が足りない室内をひっきりなしに行き交うのは、お手伝いの『人形』たちだった。見るからに作り物の風情をした彼女らは、皆コランダミーと同じくらいの年頃に見え、いかにも使用人然とした衣装に身を包み、てんてこまいに働いていた。彼女らは個別に違った顔を与えられてこそいたが、一方で、全員同じアルゴリズムで動いているかのようでもあった。

 四角い座敷を丸く掃いていた彼女らの一人が、お誕生日席についているコランダミーにソソソと寄ってくる。その子はとても小さな声でコランダミーにお茶菓子の希望を尋ねて答えを聞くと、緊張した面持ちになって、どこかへと去っていった。

「ま、つまるとこ『製造者』じゃときめきが無いんだよ。うん」

 のべつ幕無しに喋くり倒した神様、あるいは製造者。だかなんとか。その人は短く息をつくと、ようやく冷めきったお茶を口にした。そしてテーブルの向かい側で曖昧な返事をしたキリウ少年に、優雅な手つきで山積みのお茶菓子をすすめてきた。

 先程までの嵐のような勢いから、凪のように淑やかになった所作のギャップに、キリウの副腎はこてんこてんだった。ただでさえ彼女のつややかな頭髪がフェイクであることに気づいてしまったり、足元で引っ付いてくるトランが気になって集中できなかったりといった秘密を抱えているのにだ。

 腹いせで控訴されたら負けるかもしれない。面倒くさくなってきたので、以降は彼女をミシマリ(m1s1maryy)と記述する。

 ここの来てからのキリウはずいぶんと言葉少なになっていた。どうやらミシマリは何かしらの『フィードバック』が欲しいとかでキリウを招いたのに、実際にはミシマリが延々と開発秘話だの苦労話だの惚気だのを上気した顔で展開し続けるので、キリウは壊れたように相槌を打っていた。そうなるしかなかったのだ。何せ、なぜ『神様』なのかとキリウがちょこっと尋ねただけで、こんな調子なのだから。

 ――いわく、製造者。彼女はキリウが何も知らずにコランダミーを拾ったことを知ると、何かと教えてくれようとした。コランダミーは彼女が数百年前に作った人形の一人で、型番XD-123の4番目の個体だったということ。人形は単一の『持ち主』の所有物になり、持ち主の心を癒すために動くのだということ。持ち主を失った人形は、また別の持ち主を探すのだということ……。

 実際にはその合間合間に、XDがどのような設計思想で作られたシリーズであるかとか、人形に複数の都市を最短距離で巡らせる問題の困難性とかいった胸焼けする講釈が挟まれていたが、要約するとそのような感じだった。キリウが音を上げて、型番だとか設計だとか言われると怖いという旨を伝えると、ミシマリは少しだけ言葉を選んでくれるようになったが、十五分足らずで元に戻ってしまった。

 ――いわく、永遠の17さい。ミシマリは、キリウが永遠の少年であることに気づくや否や、自分も同じなのだと積極的に開示してきた。彼女はその長命を利用して、「この世界に少しでも幸せを増やすために」、かわいいかわいい人形たちを惜しげもなく世に放っているのだと、おそろしく爛々とした目で語っていた。

 ――いわく、半隠居。件の湯呑みに刻まれていたアドレスはアフターサービス用だったとかで、しかし百年ほど前に、転送でのサポートは全て打ち切っていたのだという。ミシマリの見立てでは、旧型のコランダミーがこの街を目指したのは、何らかの内部エラーが原因かもしれないとのことだった。お医者さんごっこは久々かも、と彼女は怪しい汗をかきながら笑っていた。

 そうしてキリウに向かって延々と話し続けている間、ミシマリは興奮しすぎてか、たびたび目から黒い汁を噴き出したり、お手伝いの人形に命じて頭のネジを締め直させたりした。それを見てキリウは少しだけ彼女に親近感を覚えたり、単純に体調を心配したりした。

 すぐにまた、コランダミーの元にお手伝いの人形がやってくる。その子はコランダミーの前に皿いっぱいの……何?……を差し出すと、うやうやしく礼をして、またどこかへと去っていった。コランダミーもその子にお礼を言うと、嬉しそうに……何これ?……を真っ赤な菓子楊枝で切り取って、ゆっくり口に運び始めた。

 ここに来てからのコランダミーはというと、まるでわからんちんな様子でミシマリの声に耳を傾けてにこにこしていたが、同時に彼女がいつもの調子でお茶菓子の山を平らげていたことは、キリウの心を幾分か落ち着かせていた。

「ん~。っていうかさ、どう思う? この子」

 唐突に、ミシマリがコランダミーを指してキリウに尋ねた。

「どう、って」

「かわいい?」

 その問いに、思わずキリウは心の底から頷いた。

「かわいいです!」

「でしょ!」

 ミシマリはさも当然のように粋がって、わざとらしくテーブルに両肘を乗せた。

「はぁ~、やっぱりXDらへんが一番かわいかったよねぇ。これ以降のシリーズって、人間的な評価は高くなってった気がするんだけどさ。だんだん人形的な可愛らしさが無くなってっちゃったと、自分でも思うもんなぁ~~」

 謙遜の皮を被りきれてもいない自慢のような言い草だったが、長い長いミシマリの話を聞かされてきたキリウには、そんな彼女の言葉が実は意外と本心からのものであることを奇跡的に察することができた。とはいえ、コランダミー以外を知らないキリウには返事のしようのない話題でもあったので、キリウは率直な感想を述べた。

「でも、コランダミーすごいです。ごはん食べたり、寝てたり、息もしてたし。人形っぽいとこ見てなかったら、なんか人間みたいで」

「キリウちゃん、あたしのこと褒めたの?」

 となりで能天気なコランダミーの声。言いかけたところでキリウは、この話の流れでコランダミーの人間らしさを称賛したのは、目の前の自称『創造神』のガラスのハートを踏み抜く行為だったのではないかと血の気が引いたのだけれど。

「あぁ~~、コランダミ~~、褒められてるよぉ~~!! 嬉しいねぇ~~!! 正直、本質的じゃないとこに手間暇かけてたんじゃないかって、いっつも不安だったからさぁ~~!!」

 まったくの杞憂だったようだ。

 勝手に疲れているキリウをよそに、ミシマリは勝手に感動していて、コランダミーもただただ幸せそうに別のお菓子をぱくついていた。もはやキリウは、コランダミーが笑顔ならなんでもいいような気がし始めていた。

「ありがとうねぇ! いや、あのねぇ!? そーゆーとこに気づいてくれるのって、やっぱり持ち主さんが良い人だからなんですよ。ほら、べつに人形って、食べたり寝たりする必要無いでしょ? だからね、人形がそういうことをするのって、持ち主さんが人形にそういうことをしてほしいと願ってるからなんですよ。すこやかだなぁ~~、すこやかだよなぁ~~。コランダミー作ってよかったなぁ~~!」

 もしかして自分が褒められたのかも、とようやくキリウが気づいた頃には、彼女はとっくに次の自慢の種を探して道具箱やファイルをひっくり返している真っ最中だった。これでさっきは眼球が出てきた。その前はメモリーチップが出てきた。次は心臓かもしれない。

 とにかく――こういうわけで、とにかく、ミシマリはとにかく、キリウに一方的に人形の話をしたくてしたくてしょうがないらしいのだ。それは会話というよりは確実に独演会で、独り舞台で、まるで一人で地下迷宮に閉じこもって壊れた鏡にだけ自分の趣味嗜好を囁き続けていたオタクが、三年ぶりに地上に出てきて初めて氷をかじったみたいだった。まったく意味が解らないが、そうとしか言いようが無かったのだ。

 そんな折だった。キリウの膝の上に、もそりとトランが顔を出したのは。

 ずっとテーブルの下でキリウの脚を引っ掻いていたトランが、いつの間にか乗り上げてきていたようだ。トランはミシマリの周波数が苦手らしく、すっかり縮こまっており、キリウが差し出した手に赤い目を白黒させてしがみついてきた。

 白黒したいのはこっちも同じなのにと不貞腐れかけつつも、キリウはトランを抱き上げて、かれの目が高速で白黒するフレームレートを測ってみることにした。行儀が悪いのは百も承知だが、そうでもしないと回線落ちしそうだったのだから仕方がない。ミシマリはまだ大量の骨格標本と格闘していた。機械油がこびりついた大腿骨と……。

 そうしてトランにかまっていた時、ふとキリウは、明後日の方向からぷわぷわした視線を感じ取った。

 コランダミーではない、彼女はそこにいる。キリウが振り向くとそれは霧散してしまい、どこにもいなくなってしまった。けれどその先には、そんなことを忘れるくらい、もっと奇妙な空間が広がっていたのだ。

 それはがらんとしたフロアの片隅に鎮座していた。白黒のクッションマットを敷き詰めた一画に、色とりどりの半透明なブロックを大量に積み上げて作られていた。ブロックの大きさは膝下ほどから腰の高さ程度のものまでまちまちで、柔らかい素材でできているらしく、あちこちから隙間にうずまった人形たちの一部が飛び出している。一見して少しぎょっとする光景だったが、彼女らはスーパーお昼寝タイムであり、全身からくらくらするほどのヒーリングパワーを放っていた。

 なぜ今の今までこんなに目立つものの存在に気づかなかったのか、キリウは不思議に思った。その人形たちはミシマリのお手伝いのものたちとは異なり、どちらかと言えばコランダミーのように有機的な見た目をしていた。

 そしてその子たちの真ん中に、さらに雰囲気が異なる別種の人形を見つけたとき、キリウの瞳は『彼女』に釘付けになった。

 その人形は、ひとりだけ大人の姿をしていたのだ。細身の身体にゆったりとした服をまとい、美しい長髪を流した彼女は、伏せた目を膝の上で眠る別の人形に注いでいた。彼女は少し離れたところからでも輝いて見えるほどに端正な顔立ちをしていたが、片目に変てこなデザインの眼帯を巻いており、滲み出すアンバランスさが更にその空間を奇妙なものに仕立て上げているようだった。

「おっ。旦那が気になる?」

 トランを抱いたまま妙な姿勢で固まっているキリウに、戻ったミシマリが茶化すような声をかけてきた。

「は……旦那って、男の人ですか?」

「うん。あたしの旦那。バージョン7.1.12」

 いまいち驚く元気も無くキリウが尋ねると、ミシマリは両手いっぱいに抱えていた人工繊維をテーブルに放り出して、どこか照れくさそうに答えた。その上で彼女は、キリウが飲み込んだ感想をわざわざ先回りして、さらにその三倍は照れくさそうに続けた。

「いや、あのね! あのね、余ったパーツでちゃちゃっとね! 組み合わせて、いいかんじにときめきを詰め込んだらね! ああいう感じになっちゃったんだよねぇ! えへへへへ」

 ――いわく、人妻。キリウはこの時、彼女が真っ赤になってコランダミーと見合わせた笑顔と笑顔とが、ちょっとだけ似ているような気がした。ちょっとだけ。