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155.電波少年(物理)

(それにしてもこの作業で真に面倒なのは、彼自身も鞄に入って送られる必要がある、というところかもしれない。そうして局員さんの目を掻い潜って鞄に滑り込んだところで、やがては精神性が荷物と化し、ひっくり返されたくないだとか優しく積んでほしいだとか喚く羽目になるのかもしれない。)

 たとえそうだとしても、時として悪魔にはやらなければならないことがあった。

 いつか見たような月の無い夜のことだった。いつか見たような街の中と外の境目で、キリウ少年が小さな端末を手に、インジケータを睨んでいた。彼は積み上げられた廃材に身を隠すように姿勢を低くしており、傍らではコランダミーもまた膝を抱えて座り込んでいた。

 端末に接続された二本の線のうち、一本はコランダミーの鞄の中に設置されたバッテリーに繋がっている。もう一本は街の外側に広がるがれきの世界に向かって数メートルほど伸びており、その先では不可解な形状をしたアンテナが佇んでいた。あれは、某ルートで手に入れた転送局ビーコン用の送受信アンテナを改造して指向性を持たせたものだ。今は『あっち』に向かって、できる限りの高出力で要求のシグナルを送信し続けている。

 インジケータの様子が一向に変わらないのを確認したキリウは、周囲の様子を伺いながら立ち上がると、少しだけアンテナの角度を変えた。そして元の場所に戻ると端末を操作して、再び冷たい世界に電波を放ち始めた。

 ゆんゆんする。あのがれきの荒野を歩いていたのが、ずいぶん昔のことのようにキリウには思えた。同時に、まるで昨日の出来事のようにも感じられていた。少しばかり、この世ならぬ場所に居すぎたせいかもしれない。

 あれから大変だったのだ。

 コランダミーを送り返そうにも宛先のアドレスが分からないから、などとキリウが高をくくっていたら、案の定というか、彼女の荷物の底からそれは出てきたのだ。いかにもなアドレスのリストが刻まれた、金属製の湯呑みとして。

 聞けば、確かにそのオカルトグッズは彼女が発送された頃からずっと持っていたものなのだそうだ。何も彼女は隠していたわけではなく、訊かれなかったから言わなかっただけなのだ。いつものことだ。そして、それが本当だとすればコランダミーの送り主は、いずれ彼女が送り返される時のことまで考えていたに違いない。

 ところがいざ半狂乱になってキリウが転送局に出向いてみると、それらのアドレスは全て不通となっていた。局員さんに聞いてみても、使われてないアドレスだと言われるばかり。書かれていたことがデタラメだったのか、それともコランダミーが目指す処はとっくに滅びてしまったのか。理由はどうあれ、アドレスが死んでいてはどうしようもなかった。

 どうしようもなかったのだ。

 そうして、一度はそれについて考えることをやめようとしたキリウだった。その根底にあったのは、突然降って湧いた解に対する強烈な拒否感だった。それができるのなら、これまでの道程はなんだったのかと砕け散りそうだったのだ。

 しかしそんなカスよりも甘い考えを許さなかったのもまた、キリウの中の別の拒否感だった。薄暗い好奇心に似た、あるいはもっと邪悪な部分かもしれないそれは、突き詰めれば自己嫌悪だった。

 もともとキリウは『あっち』自体には何ら興味が無かった。むしろ興味を持たないようにしていた。怖かったからだ。けれどコランダミーが金色の湯呑みにお湯を入れて、「あつくてもてない」と笑ったとき、キリウはそこに偉大なる知性を見た。そして彼女が帰るべき場所へと帰ろうとしているのならば、それに寄生するキリウには、責務があることに気づいた。すなわちベストを尽くすべきなのだと。

 結果的にそれは正しかったのだ。あれから二十回も転送されてきた今となって思えば、あのまま列車でニルヴァーナを目指すのは、とても無謀だったろうから。

 キリウの暗い手元でインジケータが瞬いた。アンテナが応答をキャッチしたようだ。ミリ秒遅れて、さらに別の微弱な応答。キリウは後者の内容を書き留めると、急いで撤収したい気持ちを抑えて、もう一度だけアンテナの角度を変えた。

 もっと遠くの支局が……見つかるかもしれないから。

 ――アドレスが分からないなら調べるしかなかった。そのためにキリウは、転送局のビーコンを利用した。

 転送局は、エーテル転送とアドレス解決の仕組みを用いて、宛先支局のアドレスさえ指定すればどんなに離れた地域同士でも荷物をやりとりできるシステムだ。しかし実際には利便性のため、少しくらいは支局名からアドレスを引けるようにしている支局が多かった。

 そのために使われているのが転送局ビーコンだ。ビーコンは要求に応じてノードの情報を返すように作られている(※なぜそれが『ビーコン』と呼ばれているかはよく分からない)。転送局は要求のシグナルを定期的に送信することで、同心円状のエリア内に存在する他の支局の存在を検知しているのだ。

 ビーコンは荷物の転送と異なり、単なる無線通信なので、あくまで近傍の支局同士でしか情報の共有は行えない。支局名からアドレスを引けるのも、ほとんどの場合はその範囲内だけだった。また、それで他の支局のアドレスを入手できたとしても、支局の物理的なロケーションが分かるかどうかは別問題だ。ことに土地勘の無い旅人が、支局のアドレス帳だけを頼りに特定の場所に近づこうというのは、サイコロでマークシートを埋めるに等しい。

 だからキリウは、確実に『あっち』方面に位置するアドレスだけを辿る方法を考えたのだ。それが、いま彼が執り行っている儀式だった。コランダミーに確認してもらった『あっち』方面に向かって、あえてビーム幅を絞った送信アンテナで要求シグナルを撃つ。応答があった中で、最も遠くに位置していそうな支局のアドレスに飛ぶ。これを『あっち』に着くまで永遠に繰り返す。

 それだけの画を描くまでに、形にするために、キリウは転送局の仕組みや約束事をゼロから勉強しなければならなかった。が、そんなことはどうでもいいのだ。永遠の少年がこの世界で這いつくばってでも生きていくというのは、だいたいそういうことなのだ。

 ……さて、許可なく転送設備を所有してるだとか、勝手に電波を放ってるだとかがバレて面倒なことになる前に逃げなければならない。

 インジケータが表した応答は、先程と同じ支局のものだけだった。行き先が決まったと見てキリウがコランダミーに目配せすると、彼女はすでに靴を脱いで鞄の中に飛び込んでいた。さすがに二十回もやっていると慣れたもので、いつまで経ってもあのゴラッソとかいう人形にゴラッソされ続けているキリウとは、やはり格が違うのだろう。

 あとは転送局が閉まらないうちに駆け込んで、いま調べたアドレスに対して局留めでこの鞄を送るだけだ。冒頭の問題はあるが、最寄りの転送局には集荷ボックスがある。何食わぬ顔で鞄を置いて、こっそり潜り込めばどうにかなるだろう。

 キリウは畳んだアンテナやケーブルを次々とコランダミーの鞄に放り込み、肩に掛けた。彼女の大きな鞄はキリウにはかわいすぎて、こんなに暗い夜でも、少し恥ずかしかった。