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153.荒野にて

 でかい白い虫の頭の後ろに乗って、永遠に続く空をどこまでも飛んでいくペンギンがいた。

 探し物をしていた彼は、目下に広がるがれきの海にそれを見つけた途端、力任せに虫の触覚を食いちぎった。理不尽なLOVEに曝された虫が身体をひねって暴れると、その勢いで翅が吹き飛んだ。脚がもつれて、複眼が破裂して、プライドがズタズタになって、心がこわれて、頭がおかしくなった。

 きりもみ回転でがれきに突っ込んだ虫の残骸の上から、がれきと同じ白と黒のペンギンが軽やかに跳び下りる。加速度と風に踊った飾り羽をそのままに、目元を隠していたゴーグルを取り払った彼は、きりっとした赤い瞳で前方を見据えて、がれきの上をぺちぺち歩く。

 歩いてくる。

 そのペンギンはそこにいたキリウ少年のところまでやってくると、ぎゃあと鳴いた。そして抱えてきたメロンを両腕で差し出し、キリウの前に置いた。それから首に下げていたホイッスルを吹くと、どこからか飛来してきた別のでかい白い虫に、あっという間に攫われていってしまった。

 ――昔はがれきの上を一日中歩くのなら、ゴーグルが無いと目が潰れるほどに白くて眩しかったのだ。すり鉢状に掘った穴の真ん中に棒を立てて、魔女を縛り付けて放置するというプレイもあった。けれど近頃は黒いのと半々だから、時には黒の方が多いくらいだから、そこまででもなかった。

 そういうわけで、どうしても『あっち』方面に行ける路線を見つけられなかったキリウとコランダミーは、がれきの上を二日ほど歩き続けていた。

「キリウちゃん」

 コランダミーがキリウの腕の中のメロンを覗き込んで、何も考えてなさそうにつぶやく。がれきの真ん中で丸ごとの果物を貰うのは、どんなに深い愛でも持て余すものがあった。

「あとで食べようね」

 キリウはそう答えるとサッカーボールを投げ捨てて、空いたボールネットにメロンを入れた。そして余所見をしているトランの鉤のようなしっぽに、絞った端をそっと引っかけた。トランはそのことに気づく素振りがまったく無いまま、二人の頭上をぷわぷわ飛んでいるだけだった。

 何の当てもなく歩いているわけではない。夜になるとこの荒野の向こうから、近隣のものではないラジオ局の電波が飛んでくるのを、ある街に滞在していた時に見つけたのだ。キリウのがれきで荒れた靴の底がサッカーボールを踏み、前方に軽く蹴飛ばす。コランダミーが生けるコンパスなので、寝ても覚めても方角を見失わないのは良かった。太陽がどちらから昇るのかも分からない地域の空を読むのは無謀だし、遠景に点在する電波塔にしたって、マニア以外が安易に見分けられる代物ではないのだ。

 それにしても、がれきの上に出てからというもののコランダミーは執拗にキリウに引っ付いてきて、一時たりとも離れようとしなかった。キリウは何か言おうとしたけれど、見上げてくる彼女のガラス玉の瞳が強烈な感じだったので、やっぱりやめた。

 代わりに尋ねた。

「怖いの?」

「うん」

 ボールに追いついては蹴飛ばしてを三回繰り返した。

 相変わらず彼女はキリウが訊いたことしか答えないのだった。この世界はこんな奴ばっかりだし、それはキリウも同じなのだ。そのことに気づいているから、やっぱりキリウは訊くのだ。

「何が怖いの?」

「でんぱ」ぱーーー^^

「なんで怖い?」

「電波がとどかないとこに行っちゃだめって」

「なにそれ。誰のルール?」

「おかあさん」

 予想外の方向からパンチを貰ったキリウの靴の下で、メロンに大きなひびが入った。

 思わずキリウがきょろきょろしても、コランダミーは百年もののアホ面でキリウをじっと見つめているだけだった。同じ砂埃をかぶって歩いてきたはずなのに、二日足らずで野良犬みたいになっているキリウと違って、彼女は脳みそまで透き通るような透明感を保っていた。まるで葛餅だ。

 案の定、その直後、これまでキリウが見てきた中で最も恥ずかしそうな彼女の悲鳴が上がるのだった。

「神様のこと、おかあさんって言っちゃった~~」

 へにゃへにゃと世界が軋む音がした。耳まで真っ赤になったコランダミーがうーうー呻くたび、キリウまで恥ずかしくなった。

 だいたい、どうしてメロンが足元に転がってるのかも分からないのだ。白い虫にペンギンが乗ってるわけないだろ。サッカーボール? なんでそんなかさばるものを持ってくるんだよ。意味が分からない。なんで地面ががれきなの? 意味が分からない。

 意味が分からない。

 それからまた、無言で数キロほど歩いた頃だったか。

 蹴られ続けた委員長の生首はいよいよボコボコになり、コランダミーは相変わらずキリウのそばを離れようとせず、トランもくるくる回りながら頭上を飛んでいるだけだった。他にやるべきことは無いし、やりたいことも無いのだから仕方がない。そんな人生にしたお前が悪い。

 こんなに暇ならサッカーボールを持ってくればよかった、とキリウは思った。さっきトランのしっぽに引っ掛けた針金ハンガーを手に取り、思いっきり広げて頭からかぶって、ぼやいた。

「ていうかさ、コランダミー、最初はどうやってあっちから来たの?」

 コランダミーはへにゃへにゃが残ったままの顔で答えた。

「えーてりばり」

 少なくともキリウにはそう聴こえた。

 ぱちくりしたキリウを見てか、コランダミーは自ずと補足してくれた。

「えっとね、送ってもらったの」

 ……。

「鞄に入れてね、てんそうきょく」

 ……。

 !?

 エーテル転送を使った、超長距離郵送?

 コランダミーが言わんとしていることを察したキリウは頭が爆発しそうになった。代わりに、足元でベコベコになっていた生首が弾け飛んだ。その内側から砂鉄まみれの白い虫がわっさーと這い出てきて、舞台袖にばたばた潜り込んでいったが、そんなことはもはやどうでもいい。

 嘘だ、と最初にキリウは思った。生き物を転送なんかしたら死んでしまう。転送自体はロッカールーム等で広く普及しているし、ジュンがキリウにおみやげを送るのに使っていたのも類似のサービスだったが、そのどれも動物を送ることは禁止されていた。だいたい、それができるならこの世に列車なんか無いのだ。

 でも、彼女が人形だから?

 宝物がぎっしり詰まった鞄を指さしたまま、コランダミーがへにゃへにゃしている。半開きの鞄からはトランのしっぽが飛び出していた。今日のトランはずっとそこにいたのだ。

 キリウは彼女から目を逸らして、逸らしそうになって、でも真っすぐ見た。そして全てを終わらせるつもりで口を開いた。

「帰りも誰かに転送してもらえばよかったんじゃないの?」

 長い長い沈黙の後、あんまりにも間抜けなコランダミーの声が響き渡った。

「わー、そうだね!」

 はじけ飛んだメロンの種をがれきの上に残して――。

 にこにこしているコランダミーと、目元を覆ってしまったキリウとが、ただただ歩き続けていた。