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145.キリウ少年とジュン少年 その3

「それじゃあね、ジュンちゃん。向こうでも元気でね」

「うん。チカさんも元気でね。いっぱい話してくれて、ありがとね」

 パトカーに乗って去っていった老婆に、ジュン少年は見えなくなるまで手を振っていた。見えなくなったあと、横を見てちょっとびっくりした。入れ替わりでパトカーから降りてきていたキリウ少年が、何も言わずにそこに立っていたからだ。

 網膜に焼き付いたパトランプの赤。重い足取りで歩き始めたジュンのとなりを、無言のままのキリウがついていく。喪失感にしがみつかれたようなジュンの横顔に、キリウはウサギを見た。人によっては蟹とかコーヒーの染みにも見えるらしいが、そんなことはどうでもいい。

 そのまま一ブロックも歩いたところで、ようやくキリウが切り出した。

「好きだったの?」

 この時ジュンは、内心ではピヨピヨ鳴き出す寸前くらいまで追い詰められていたが、表面上は平静を装って答えた。

「そりゃあ好きだったよ」

 透き通るような白目に影を落としてジュンが俯く。

「チカさん、ぼくが何を話しても、にこにこして聞いてくれたから」

「他の人には大根投げてくるのにね」

「ああ。ポストに火もつけるし」

 夕暮れの小路を、ふたりと同い年くらいの学生たちがサッカーボール大のコンソメブロックを蹴りながらすれ違っていった。誰かがこの街に味をつけようとしている……そのことに気づいている者は少ない。

 ――冷める時に味が染み込むという点においては煮物も人間関係も同じ。いつかのジュンは、キリウにパッチンガムを向けてそう告げた。キリウにはまだその意味が分からなかったが、ジュンにもよく分からなかった。

「時々ぼくとキリウを間違えるところと、年上なところ以外は、本当に全部好きだったよ」

 まんざらでもなく、ぽつりとジュンが呟く。二人はあまり似ていなかったが、周囲からはよく似ていると言われ、時には間違えられるものだった。あの老婆も、キリウと間違えてジュンに大根を投げつけたことがあったっけ。

 ジュンより年下では、本当に子供になってしまう。もっともジュンの言い分は毎度異なっており、昨年には「常温で固まるところ以外は」と言ってたし、自棄になると「人間だからなー人間でさえなければなー」とか言い出すので、キリウには面倒くさがられていた。

 どのみち自分と同じものが見えてない人間など眼中にないのだろう。そんなジュンの冷たさにこの世で唯一気づいていたのがキリウだった。そして厄介なことに、ジュン自身にはその自覚が無いのだった。

 けれど何より――これはジュンに限らずキリウもだが――彼らはLoveとLikeの違いすら分からないうちから、永遠の少年なのだった。それが幸福であるかどうかを論ずるのは秘書に任せるとして。

「どうする? また次の街でソウルメイトを探す?」

「正直ちょっと疲れたよ。やっぱりぼくの花を受け取ってくれる人なんて」

「なあ、二本足じゃなきゃダメ? 三丁目のショコラ、しっぽがちぎれるくらいジュンのこと好きだよ」

「変温動物だろショコラは!? しかも頭の悪いオスだ! 骨も多くて怖いし……ぼくは……女の子が好きなんだ」

 変温動物に好かれたことがないキリウは不平を言いたくなったが、LoveとLikeに挟まれて動けなくなってしまったジュンがかわいそうなので、やめた。代わりにキリウはポッケから取り出したペトリ皿のふたを開けて、中身をジュンに見せて言った。

「毛虫のマリンちゃん」

 それを覗き込んだジュンは「キリウのバカ!」「脳みそパープリン!」と叫んで、紙吹雪を撒き散らしながら走っていってしまった。

「……ってさ」

 キリウがそっと笑いかけると、ペトリ皿の上でモソモソ動くマリンちゃんも、困った顔をして笑った気がした。残されたLoveとLikeは天高く昇り、爆発した。