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134.ライブラリアン

 公道で堂々とパワーストーンを売りさばいているコランダミーの周りに、下校中の女学生が数名ほど群がっていた。

 ちょうちょからしてみれば花も団子も同じだという事実に気づいている者は少ない。キリウ少年も最初はそう思っていた。でも、近くのビルの非常階段に跳び込んで上からこっそり覗いてみると、その輪の真ん中にいたのは骨精霊のトランだった。

 彼女らは和やかな声を上げて、コランダミーの腕の中のトランをニワトリか犬のようにかまっている。かわいいー、だって? トランはいつもの仏頂面を貼り付けて、居心地が悪そうに身体を丸めているだけだ。少なくともキリウにはそうとしか見えなかった。たとえキリウがかれを連れ歩いていても、そんな言葉はただの一度もかけられたためしが無いことを差し引いてもだ。まさかこれで実はトランが案外喜んでいたりした日には、もはや目も当てられない。キミはどこかで人生を誤った。

 あんなことして咬まれないのかな、などとキリウは手すりを軋ませながらモヘモヘしている。けれど、幸いコランダミーが巧みに指を絡ませているためか、トランは彼女らには届かないところで脚をぎょろぎょろさせているだけだ。いっそ咬まれちまえ。衝動的にそう呪った自分に気づいた時、キリウは恥ずかしさでカビが生えそうになった。おのれがどこぞの街で変なことをしたせいで未だにトランが寄り付かないのを、キリウは想像以上に気にしていたようだ。

 嫌な日だ。ただでさえこの街に滞在し始めてからは、漬物にされかけたり、靴擦れを起こしたり、身元の証明のために金を払っていた業者がガサ入れで潰れたりといった不運が続いていたのにだ。もっとも、トマト臭い夢は見なくなったし、コランダミーにまとわりついていた天使の影が鳴りを潜めているのは決して悪い話ではなかったが。

 キリウはガムを踏んだような気持ちで階段を上っていった。すれ違ったババアが、パイプの煙を吐きながら訝し気にキリウを見たが、知ったこっちゃねえ。審判の日はまだ先なんだ。上って上って上って……とんだ。そうして隣のビルの屋上の、そのまたタンクの上に降り立ったキリウを、さらに隣のもっと高いマンションのベランダから見つけた男がいる。そいつを見上げて、キリウは笑って手を振った。あの男は気味の悪い餓鬼を当局に通報するだろう。そのまま踵を返して、キリウはごまかすように通りの向こう側の建物へと跳んだ。

 さて、今日はこれからクレーム代行のアルバイト……と行きたいところだが、その前に。

 某ゲーセンのコミュニケーションノートを通じてアドレスをやりとりした相手に、ブツを売りつける用事があった。キリウはポッケに護身用のゴキブリを忍ばせて、待ち合わせ場所に指定された図書館を訪れた。

 なんてことはない、静かで質実ともに充実していて、年季が入った普通の図書館だ。大方の街において、図書館というのは、市民でもない未成年のキリウを優しく放っておいてくれる場所の一つでもある。この街の図書館もまたそうだった。

 だからなのだろうか? むしろキリウは、用が無ければそういうところに長居はしなかったし、爪を切って行ったし、言動にも注意を払っておとなしくしていた。それはたぶん、好きな人に嫌われたくない、大切なものを失いたくないという気持ちに似ていた。

 そんな風に思っていたくせに……今日のこれは裏切り以外の何ものでもない。誰にも見咎められないことを願って、帽子を目深にかぶったキリウは前もって連絡された通りに二階へ向かった。そしてドアの下に赤い紙を挟んでいる個室を探した。案の定、それはすぐに見つかった。

 しかし見ず知らずの相手との取引の場として図書館の閲覧室を選ぶだなんて、いったいこの部屋の中に居るのはどういうジャンルの人間なのだろう。ある意味でキリウは、それを見るために興味本位でここまで来たのかもしれなかった。深呼吸して、すりガラス張りのドアを約束通りに五回・一回・二回・三回ノック。

 直後――ドアを静かに開いて飛び出してきたのは、細い腕だった。それは開き切らないドアの隙間から、少々無理やりにキリウを個室の内側に引っ張り込もうとした。場所が場所なのでキリウも黙って引っ張り込まれると、同様の理由で、目の前の少女はあらかじめ「静かに」のジェスチャーを作っていた。

 少しの間が空いた。このとき二人は、互いに相手の姿を見て拍子抜けしていたのだろう。キリウは『客』がこんな女学生だとは知らず、彼女も『売人』がこんな少年だとは思っていなかったのだろう。彼女の目にはおそらく、キリウは同級生よりも年下に見えたに違いない。

 少女は扉をきちんと閉めたことを確認すると、心底そわそわした様子で、手にしていたモバイル端末を素早く操作した。そして立ったまま、キリウにその表示部を突き付けてきた。

『お金は持ってきてます。先に薬を見せてください』

 ああ、口きいてくれないタイプだ。

 遅まきながらキリウは、彼女が考えた密会の手法を理解していた。こんな話をするのに敢えて声も出せないほど静かな場所を、しかも個室ながら公共の場所を使うことで、彼女は自分の身を守ろうとしているらしい。万が一のことがあっても、少しでも騒げば周囲に異変を察知してもらえるし、なんならこの場でキリウを変態に仕立て上げることもできるだろう。

 だけどそれよりもたぶんよ、彼女がもっとも恐れているのは……キリウと会っているところを誰かに見られることじゃあないか。キリウは彼女の度が入っていない眼鏡と、まるでついさっき慌てて制服の上からパーカーをかぶったみたいな出で立ちを見て、それを直感していた。実際に騒げば彼女自身も真に無傷ではいられまい。

 もっとも、ここで急にキリウの中の悪魔が目覚めて彼女の望みをぶち壊しても、本当に何の意味も無いだろう。キリウはただ、ブツを売って下水道のワニのエサ代にしたいだけなのだから。

 無言のまま、キリウはゴキブリが入っていない方のポッケから包み紙を取り出した。前のめりになった少女を制して、それを開いて見せた。中身は茶褐色の液体で満たされた小さなチューブが三本。

 即効性と耐熱性にすぐれた惚れ薬だ。料理に混ぜて、かならず二人きりの時に食べさせること!

 照れくさくてキリウが笑ってみせると、少女は顔を引きつらせながら鞄から紙幣の束を引っ張り出した。彼女は震える指でそれを広げ、枚数が分かるようにキリウの手に押し付けた。同時に彼女が薬をひったくるのをキリウは許していた。そうだよ、わざわざキリウが相手の指定した場所なんかに赴いたのは、彼女しかこの惚れ薬に価値を見出した奴がいなかったからだよ。

 キリウが金額の確認を終えたのを見るや否や、もう充分でしょと言わんばかりに――その客は売人を閲覧室から追い出していた。こうしてキリウを帰した後、忘れた頃に彼女もしれっと出てくる算段なのだろう。そのためにあの机の上には、読みきれないほどの焼き菓子のレシピ本が積まれていた……。

 さあ、お嬢様学校の決して魅力に欠けてない少女は、どういう戦争を始めるのかな? また別の笑いが込み上げてきたのを抑えきれないまま、キリウは彼女と自分の望み通り、長居せずに図書館を出てあげた。そして使わなかったゴキブリを野に放ちながら、少女の作戦が成功することを願った。そうとうに八つ当たりじみた気持ちで。