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131.黙示録

 列車の窓から外をぼんやり眺めていたキリウ少年は、突然、自分がいつからこうしていたのかが分からなくなった。

 窓の外はいつも通りの白と黒のがれきでいっぱいの景色だ。混ざりきらない白と黒とは、抜けるような青空から降り注ぐ光を跳ね返したり吸い込んだりして、永遠に落ち着きやしないのだ。

 がれきの白に焼かれた目を車内に戻すと、向かいの席にいつも通りのコランダミーが居た。彼女は縫い針を手に、ぬいぐるみのようなものをちくちく繕っていたが、キリウが目を覚ましたことに気づくと顔を上げた。

「おはよ」

 キリウはびかびかする目をこすって挨拶した。――が、べつにキリウは寝てなどいない。コランダミーも変だと思ったのか、首をかしげてキリウを窺ってきた。

「キリウちゃん、だいじょうぶ?」

 いつものガラス玉のような眼球がまぶしいので、キリウは何も考えずにうなずいた。なんとなく全身が痛んでおり、腕を伸ばすと首から変な音がした。これだから列車で寝るのは良くないのだ。

「すっごく寝てた感じがする……な」

 寝てなどいないのだが、キリウはそうぼやいていた。

「よく寝れてよかったねぇ」

 寝てなどいないのだが、そう言うコランダミーのにこにこ顔を見ているとキリウは、自分が寝ていたような気がしてきた。これだから明るいところで寝るのは良くないのだ。

 いやに足の裏が靴底に引っ付く感じがして見てみると、キリウの靴は血みどろだった。とうとう体幹からトマトが染み出してきたのなら、おととい失笑した。次の駅で降りて、早いところ洗いたかった。そして赤黒く固まった靴紐を気休めにほどこうとした時、キリウは自分の服のそこらかしこが同じもので汚れていることに気づいた。

 もう少し寝たかったキリウは周囲を見回した。昼間の閑散とした列車内のいたるところに白い虫が標本のように磔られており、他には車輪がレールを踏む音が断続的に響いているだけだ。また知らない路線図の向こうから壁がキリウを見ている……。首と頭がひきつったので髪を触ると、指が嫌な引っ掛かり方をして髪がぶちぶち抜けた。ちぎれたキリウの空色の髪の毛にもまた、黒く固まった血がこびりついていた。

 しょーもな。

 いつも通りのお人形さんみたいなコランダミーの頬が、キリウをじっと見た。他の乗客に世迷いごとを聞かれたくなかったキリウは、声をひそめて彼女に尋ねた。

「ごめん。コランダミー、これ夢?」

 本当に分からなかったからだ。なのにコランダミーの幼い表情には、はっきりとした不安が射した。

「キリウちゃん、ほんとにだいじょうぶ?」

 コランダミーの鈴のような声に揺さぶられたキリウは、はっと目を覚ました。

 覚めるなり、隣に置いていたバックパックをひっくり返して中身をぶちまけた。そうだ、キリウは夢の中で探し物をしていたのだ。自然と口がその名前を唱えていた。

「トラン、どこいった!?」

 バックパックから出てきたのは夥しい量の赤いリボンだった。電波で焼けっぱなしのキリウの目に、それらは生き物の内臓じみて映った。列車のシートから床にこぼれ落ちていくリボンの山をかき分けて、キリウはトランの灰白色の身体を探した。引っ掻かれたくてたまらなかったからだ。

「キリウ……ちゃん」

 慈悲深いコランダミーが心配げにキリウを呼ぶ。キリウは、コランダミーからそっと差し出された手――白くて小さな手に触れられるが早いか、ほとんど跳び上がるように身を引いた。がたっと揺れたシートから赤いリボンが全部落ちて、どろりと融けて床に広がった。

 この時キリウがどんな顔をしていたのかは、キリウ自身には分からない。ただ、それを見たコランダミーの目から不安の色がすっと抜け落ち、代わりに現れたのはいつも通りの空っぽな笑顔だった。

「こわいの?」

 そう言って肩をすくめたコランダミーの背中には、フワッフワの天使の翼があった。

 少なくともキリウにはそう見えた。その瞬間、頭のネジが凄まじい音を立てて砕け、キリウは真っ赤な水たまりの上に崩れ落ちた。