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130.市街戦の夢

 キリウ少年は白いがれきの上に咲く白い花だった。

 もートマト関係無いだろ。コランダミーの手で引きちぎられて、キリウは心の中でつぶやいていた。しかし壊れた組織から滲み出す液体は、トマトのそれだった。トマトに吊られているうちに、キリウの中はトマトでいっぱいになってしまったのだろうか。もともと頭の中にトマトが詰まっていたような気もするけど、さすがに悪乗りが過ぎると思った。

 コランダミーは、厚ぼったい花弁の間から次々とキリウの頭のネジを抜いていってしまう。ひとーつ。ふたーつ。楽しそうに数をかぞえる彼女の無邪気で空っぽな笑い声が、繊維を伝って全身に響いてくる。まだ痛くない。これから痛くなってくる。ちぎれたところより下が、まだそこにあるように感じている。根っこが……やっぱり無い。

 いやだ……花びらを引っぱらないで。頭のネジなんかいくらでもあげるから、あ、ぁ、もう全部抜けてんだ。そうですか! そうやって何もかも……全部……。

 頭の上でブチッと音がして、暗転。

 

 

 耳をつんざくようなトランの金切り声でキリウは跳ね起きた。遠くでどーんどーんと打ち上げ花火の音がしていた。今日は花火大会なのか。

 こんなときに気を失っていたらしい。夜の闇の中を探ったキリウの手が、虫以外の何かに当たった。見るとトランの白い頭だった。トランは身体じゅうをバックパックにリボンで縛り付けられて、狂った目をしてもがいていた。

 誰がこんな変態みたいなことを、と言いたいところだがキリウがやったんだった。苦しいだろうけど、もうしばらく我慢してもらわなきゃならない。もしこの街でトランとはぐれてしまったら……二度と会えないような気がしていたからだ。愛をこめて、キリウはギイギイ鳴いてるトランの顎にタオルを噛ませて、さらにその上からリボンで巻いた。完璧だ。

 モゴモゴする鞄を片手に、キリウは辺りにコランダミーの姿を探す。一緒に吹き飛ばされたはずの彼女は、果たしてすぐそこに転がっていた。キリウは目を回している彼女に手を差し出して尋ねた。

「コランダミー、立てる? 走れるか?」

 自分の声がなんだか他人の声のようにキリウには聴こえていた。

 一方、ハッと目を開いたコランダミーは、キリウの手に気づかずに慌てて立ち上がった。ケガが無くてなによりだ。こうして砂埃にまみれていても彼女は相変わらずというか、たんぽぽみたいだった。

 遠くでまた、どーんと音がした。ドップラー効果を感じたキリウは、持て余していた手でコランダミーの腕を引っ掴んで一番近い建物の陰に飛び込んだ。それから間もなく、先程まで二人が倒れていた場所は、落ちてきた花火の爆発で更地になった。

 硝煙のにおいがしていた。焼け焦げた廃墟を炎がめらめら映し出す横で、燃え移られた虫たちが翅をパチパチ鳴らしてのたうち回っている。自分の幻覚ながら、すっとこどっこいすぎてキリウは泣けてきた。

 乗り換え先のヒトマル線の駅まで、あと半分も街を突っ切る必要があった。突っ切ったとして、その先で列車が動いているかは分からなかった。ハチキュウ線からこの街に降りたとき、すれ違った他の旅人たちにも引き留められた。でもキリウとコランダミーは行くしかないのだ。ここから『あっち』に行ける路線はそれしかないからだ。

 この小さな街――街と言いたいのなら――が、どうしてこうなってしまったかなんてのは、通りすがりの旅人には関係無いことだった。もう十年も四つの勢力同士が、あるいはそれに乗っかる者たちの紛争が続いてるなんてのも、どうでもよい話だ。もはや何が正しいのかも分からず、互いを焼き尽くしても終わらず、終わったところで帰る場所も無い……そんな青春を想ってセンチメンタルになるキリウでもない。ただただ重要なのは、こんな場所で立ち止まっていたら殺されるという事実だけである。

 でも、誰に? いつ? どこで? 何で? どうして? どうやって? 分からない。殺す方だって分かってないだろう。コランダミーを連れて再び走り出したものの、キリウだってどっちに向かって走ってるのかぜんぜん分かんないのだ。煙の隙間から星が見えない限りは。

 そのうちに、上ばっかり見ていたキリウは何かにつまづいて転んだ。ぐにゃりとして弾力のあるそれが黒こげの生き物であることは、暗闇に慣れた目で見ずとも判ることだった。傍らでコランダミーが拾い上げた自動小銃には、ちぎれたタコの足がぶら下がっていた。

「おもい」

 ぽそっとつぶやいて銃を元の場所に戻したコランダミーが可笑しくて、キリウは笑った。代わりにと彼女は落ちていたヘルメットをハンカチで拭いて、嬉しそうに鞄に仕舞っていた。

 コランダミーが火事場泥棒っぽいのは今に始まったことではない。こんな焼け野原のような街でも、彼女は実に色んなものを見つけるのだった。それはきれいなネクタイピンだったり、余ったふりかけだったり、ねこ用のガスマスクだったり。死体が首にかけていた迷子札も集めてきてしまったので、全てが終わった後でこの街に知り合いを捜しに来る人たちは、見わけがつかなくて困るだろう。全ての終わりと、そんな人たちの両方が存在すればの話だが。

 道を一本隔てただけの場所で変な音がした。たくさんの形容しがたい音だった。どういう集団がどういう目的でそこにいるのかは見当がつかなかったが、仮に同窓会の帰りとかだとしたら、鉢合わせることは危険だ。

 キリウはトランの枷が外れていないことを確かめる。そして死体漁りをやめないコランダミーを引っ張り寄せると、火をつけた爆竹の束をできるだけ遠くにスリングショットで放った。数秒待って、それが爆発した瞬間から反対側に向かって駆け出した。

 この時――キリウは跳ぼうとしていたのだ。

 しかし路地に抜けて三歩踏み切ったところで、急にコランダミーがキリウの腕をすり抜けたために『踏み外した』。最後の一歩を誤ったキリウは、全力で自分の身体を崩れかけのレンガ壁に叩きつけた。

 

 

 ――そうだとしても、寝てる場合じゃあないんだよ!!

 遠くで、爆竹の音に釣られた奴らが撃ち合いを始めているのだ。大声でコランダミーを呼んでそいつらに気づかれるわけはいかない。キリウはぐらぐらする頭を引きずって、走る――明後日の方向に走り続けるコランダミーをただ追いかけていた。

 たぶんみんなが思ってるより、コランダミーはずっと足が速い。彼女は壊れた白物家電の山を跳び越え、細い路地を縫うように走っている。まるで羽が生えてるみたいな身の軽さだ。しかしキリウは、そんなコランダミーもまた、どうやら何かを追いかけているらしいことに気づいていた。

 やっぱり見失ったと思った矢先、案の定、キリウは辺りに白い羽が点々と落ちているのを見つけた。字で判るだろうが虫じゃなくて天使のほうだ。白い虫たちの逆立つ翅の真ん中でも、天使の羽は微かに輝いてよく見えた。

 もちろんそれを辿った先にコランダミーは居た。彼女は地面にうずくまり、何かを抱きしめる仕草をしていたが、それに与っているものが何なのかはキリウには分からない。

 そこには何も無いからだ。

 何も……無いからだ。

「うさちゃん」

 振り向いたコランダミーは、泣きそうな顔で腕の中のものをキリウに見せた。彼女は『それ』を追ってここまで走ってきたのだ。やはりそこには何も無かったが、彼女は自分の鞄の中に『それ』を入れた。そしてまたキリウには見えないウサギか何かを拾って、鞄に入れていた。

 必死に虚無を鞄に詰め込むコランダミーの小さな背中を、キリウは黙って見下ろしていた。本当は、キリウは彼女の作業を手伝ってあげたかったのだ。だけどキリウにはどうすればいいのか分からなかった。だってキリウの目に見えるのは、自分の頭に巣食う白い虫たちの姿ばかりなのだから。

 立ち止まったことで全身の痛みを思い出してきたキリウは、糸が切れてその場に座り込む。いつの間にか街の端っこまで来ていたようで、崩れた塀の向こう側には真っ黒ながれきの地平が広がっていた。月も電波塔も無く、世界は黒で塗りつぶされていた。

 遠くでどーんどーんと打ち上げ花火の音がしていた。あんまり寝てなかったせいだろう、キリウはひどく眠気を感じていた。

 自業自得だ。ぜーんぶ自分が悪いのだ。