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118.天使がギターを弾いてた街

 アカネ街慈善病院の中庭には……ギターを持った天使の少女像があった。

 また今日の検査も、指を一本増やされたりだとか、そのままひとりでジャンケンをさせられたりだとか、エコー検査をしてると見せかけて指を引っこ抜かれたりだとか、釈然としないものばかりだった。

 心を折られたキリウ少年は、天使の像が見えるベンチで膝を抱えてラジオを聴いていた。もちろん例の電波ジャックのラジオ番組だ。世界のどこまで行っても変わらぬムカつく声で有害無益な情報と素晴らしい音楽を届けてくれるD.J.に、キリウは一線を越えた感情を抱いていたが、それを口に出したことは無かった。

 そうして本日分の放送を聴き終えて、あらかた癒された後のことだ。ヘッドホンを外した瞬間、キリウは真横から声をかけられた。

「新入りさん?」

 えらくラフな格好をした青年だった。白い虫にたかられた彼は、キリウの手の中の携帯ラジオを指さして小声で言った。

「今の……聴いてた?」

 キリウは心が騒ぐのを感じた。もしかしてこの青年も違法ラジオ局『日刊虚言プランター』のリスナーなのかと、初めて友達を見つけたオタクのような気持ちになったのだ。思わず頬が緩みそうになるのを抑えながら彼は口を開いた。

「今日のは本当に――」

「困るよね。どうにかなんないのかな、ああいうの」

 不況の煽りで送り込まれた戦地で生まれて初めて雪を踏んだ日のこと……。

「あ、おれ、水曜日のヤマテです。慣れるまで大変かもしれないけど、何か困ったことがあったら、ぜひ相談してくれたら」

 青年は勝手に自己紹介を始めたが、食わず嫌いの発作を起こしたキリウは目元を手で遮ってしまった。それに、意味が分からなかったからだ。もっとも、この世に意味があるものなんてないのだ。

 ヤマテ氏はきょとんとしたふうにキリウを窺った。

「ネバーランド・ラジオを聴いてこの街に来てくれた人、ではない?」

 キリウが顔を背けたのを頷いたと勘違いしたらしきヤマテ氏は、今度はそれについて説明し始めた。

 いわく、ネバーランド・ラジオはアカネ街の『全般性成長障害』者たちが中心となって運営しているラジオ局、あるいは番組なのだそうだ。同じ障害を持つ一人でも多くの人々にリーチするため、周辺のいくつかの路線に渡って聴取できるように発信しているとのこと。ヤマテ氏はそのラジオパーソナリティのひとりで、水曜日担当だという。

 水曜日がいつであるかはともかく、どうやら今日ではないということだけが確実だった。雨が降る気がしたキリウはその場を立とうとした――が。

「キミも永遠の少年なんだよね。ようこそアカネ街へ」

 頭に引っ付く白い虫を払い、キリウは少し邪悪な気持ちになって聞き返した。

「悪魔?」

「ああ……ここでは『全般性成長障害』って言うんだよ」

「なんで俺がそう?」

「そうじゃないなら、ここにはいないよね」

「はぐらかすな。誰から聞いた?」

 たとえ相手が障害者だろうと、いもち病だろうと、この時のキリウは嫌悪感をむき出しにした目で睨んだに違いない。それがいつか命取りになると彼は永遠に理解していたが、それをしないことも彼には永遠に難しいのだ。

 一瞬だけ言葉を選んだように見えたヤマテ氏は、表情を変えずに答えた。

「ここで臨床検査の手伝いをしてる仲間から」

 そいつの胸にホワイトボード消すやつを投げつけて、今度こそキリウは立ち上がった。手を伸ばしたヤマテ氏に向かって叫んだ。

「触んな! 俺、行くとこあるから」

 大股に去ろうとしたキリウは、しかしもっと速く飛び出してきたヤマテ氏にアホ毛を掴まれ、振り払う前に一瞬で足を引っかけられたのだった。手に持ったままのラジオを守ろうとしたキリウは受け身を取れず、瀟洒なタイル舗装に身体から叩きつけられた。白い虫がミシャリとつぶれる音がした。

 ソリティアを含むほとんどのゲームで相手に体格で劣る悪魔にとって、先手を取るのは最優先事項である。その意味では、キリウがヤマテ氏にもっとも説得力を感じたのは、この時だったのかもしれない。

「ごめんね、どうしても待って……。キミ、身体齢がおれより幾つも下じゃんさ。よく生きてたね。よく来てくれたよ……」

 慈愛に満ちた口調に反し、ヤマテ氏はねじ伏せたキリウの背中に座った。そして「まぁ聞いてくれよ」と置いて、ゆっくり話し出した。

「一言で言うとね、この病院は、この街はおれたちの存在を認めてくれるんだよ」

 ヤマテ氏の話はこうだった。診断書を持って役場で手続きをすると色んな支援が受けられて、何より身元の保証を助けてもらえる。職安に行けば、この障害に理解のある職場が選べるし。定期的な検診とサンプル提出の協力を求められるが、決して義務じゃない。どうしても生きているのが嫌になったら、献体を条件に死なせてもらうこともでき……。

 実際のところ、確かにほとんどの自治体において永遠の少年少女というのはあまりにも稀だし需要が無いので、その現象自体を無視されている。書類上は本来の年齢のまま、ひっそりとコミュニティから拒否されて自然淘汰されるか、あるいは親に絞め殺されるかを選べたのなら、幸せなくらいだった。列車に少女が飛び込んだのに、報道では老人になっていたことは? 警官に撃ち殺された少年犯罪者は、本当に少年だったのか? 歳をとったように見えないあの家の引きこもりは、いつ消えた?

 そうしてヤマテ氏は、キリウにこの街にとどまるよう言い含めるのだった。彼は、自分は本当にキリウの尊厳のために言っているのだと強調した。けれどキリウは虚無感に襲われて嘔吐しそうになっていたし、何よりヤマテ氏が重くて虫のようにつぶれかけていた。

「申し訳ない。こうでもしないと話を聞いてくれないタイプだと思って」

 ヤマテ氏はようやく腰を上げてくれたが、助け起こしたキリウをさりげなくベンチに押し込みながら隣に座ってきた。深呼吸をさせられながらキリウは、ヤマテ氏の親切な言葉がすべて彼の本心からのものであることを悟った。間違いなくこの青年は善い心を持っていたが、ようするに狂人的なところがあったのだ。

 特有の手ぶりを交えて、やはりゆっくりとした語調でヤマテ氏はまた喋りだす。

「時に少年さ、個人的にとってるアンケートなんだけど……今からおれが言う二つの質問に、五段階評価で答えてくれるかな。A、何も知らない大人に子供扱いされると嬉しい。B、事情を知ってる大人に子供扱いされると嬉しい」

 たとえ今すぐ巨大なムカデを耳から突っ込んだとしても、彼の心を揺さぶることはできないだろう。それに、このアンケートが何なのかを知りたかったキリウは、跳んで逃げることをせずに答えた。ただし、いつでも跳んで逃げられるように携帯ラジオをしまいながら。

「3」

「両方でよいね。でも本当は?」

「4……」

「いいね! キミは見た目より素直だね」

 ヤマテ氏はポッケから引っ張り出したタバコをくわえて、ネバーランド・ラジオのロゴ入りのブックマッチで火をつけていた。

「おれらが調べたところでは、世の中には、全般性成長障害者を子供扱いするのは絶対にNGだと思ってる大人が多いらしい。でもキミみたいに、実際には単なる個々人の性格によっていて、数字で見ても同年代の普通の子供たちと有意な差は無いんだ。そういう偏見を正していく……知ってもらうことで、より良く共存していけるとおれは思ってる」

 悪魔は精神の成長も止まるからだ。かつて一番身近に居た永遠の少年と度重なる反省会を経てきたキリウは、とうの昔に気づいていた。

 ミント味の煙を嫌がって白い虫たちが逃げ始めたとき、キリウはヤマテ氏の顔を初めて見た。確かに彼は、大人たちに比べれば青さの残る頬をしていたが、その目には底知れない爛々とした光が宿っていた。いわゆる若さだ。彼は永遠の若気の至りという狂気の中にいたが、キリウもまたそうであることを、キリウ自身は忘れていた。

「とはいえ、もっと良くない感情で接してくる一部の人もいてね。もしかしたらキミにケガをさせようとしたのは、そういう人らではないと、言い切れなくもない」

 あるいは、とヤマテ氏は天使の像を見上げて続けた。

「この病院の初代院長の次女が、永遠の少女だったんだ。彼女はどちらかというと回避的な傾向で、いつもギターを弾いてぶらぶらしてた……らしい。もちろん伝聞だよ。偉大な両親は彼女のことを守ろうとして、治そうとして、難病として認めるよう街にも働きかけたけど。彼女自身は周囲の奇異な目に晒された果てに、大聖堂の屋根から身を投げて亡くなったのだそうだ」

 だから今でもこの街の屋根の上には、遊び相手を探している次女の影がうろついているんじゃないか……って。

 ヤマテ氏は、果たして大真面目に言っているようだった。笑ってよいのか迷ったキリウは結局笑った。この世に意味があるものが無かろうと、分からないものは分からないのだ。

 そのままキリウが横目でじっと見つめていたら、ヤマテ氏は無言でタバコを一本を差し出してきた。この街の永遠の少年はタバコを吸っても怒られないのだろうか、と訝しみながらキリウがそれを受け取ると、先程と同じマッチで火をつけてくれる。

 が、口元に持っていった瞬間、今度はヤマテ氏が堪えきれない様子で笑い出した。

 ――ようやく何かが分かったキリウは、地面にタバコを投げ捨てて舌打ちした。この悪魔のような青年は先程からずっと、キリウが怒るかもしれない線をわざと触ってきているのだ。臨床検査の手伝いをしているのも、実際には彼自身なのだろう。そしてこれまでのやりとりから、この悪戯をキリウが赦すことを半ば確信していたに違いない。

「少年、どっか行くの?」

 立ち上がって白い虫もろともタバコを踏みつぶしながら、分かんないけど行くとこがある、とキリウは答えた。ヤマテ氏は腕を伸ばしてこず、代わりに優しく語りかけてきた。

「じゃあ……用事が終わったら、この街に来るといいよ。そしたらさ」

 大人になることを求められなくて済む。

 いつか落ち着くものだと残酷なくらい思われなくて済む。

 キリウはどちらともつかない仕草で頭を振った。火の消えたタバコを拾って、病棟の屋上に向かって跳んだ。あわよくばギターを持った女の子の幽霊と友達になれることを期待して。