「入っちゃダメー!」
キリウ少年がアカネ街慈善病院のエントランスに出てきたとき、ちょうどコランダミーの変な声が上がった。キリウは正面玄関からオニヤンマでも突入してきたのかとワクワクして駆け寄ったが、ただコランダミーが長椅子で自分の鞄に入り込んだトランを引っ張り出していただけだった。
コランダミーはトランにおでこをゴツンとぶつけて、かろうじて怒ったように見えなくもない面持ちで凄んでいた。
「トランちゃん、どそくきんし」
なんでもいいけど、キリウが無言で隣に座ったので、彼女はびっくりした様子で顔を上げた。
「キリウちゃん! 頭だいじょうぶ?」
ケガの話だ。いまキリウが病院にいるのは、昼下がりに団地の屋上で柵の外に立っていたら誰かに後ろから突き落とされたせいだ。コンクリートに叩きつけられて死にかけているうちに、通りすがりの人に通報されて運び込まれたらしい。
そうだ。天使がギターを弾いてる夢を見たんだ……ガラス窓の向こうで。例によってキリウは、ほとんど塞がっている全身の傷を引っかきながらぼやいた。
「明日、もう一回検査するって……」
検査といっても、みんなが想像しているような夢と希望の詰まった検査では断じてない。どちらかというと夢と希望が詰まってる側というか、とにかく面倒な検査である。実際、キリウは全身を採寸されたり、あちこち切り取られつつパテで埋められたり、頭に器具をつけられて小一時間もクラシック音楽の映像教材を見せられたりと、実に様々な検査を受けなければならなかった。
看護師に切られて噛めなくなった爪に目を落としているキリウに、コランダミーが怒ったふうな顔のまま聞く。
「犯人、つかまった?」
キリウは鬱陶しさを隠しもせずに首を横に振った。
「いいよ、ほんと……」
さっきも、起き抜けにおたふくかぜの予防接種を受けさせられたキリウの元に警察がやってきて、被害届を出すよう勧めてきたのだ。けれどキリウが、自分は虫だし住民じゃないし住所が無いし保護者もいないし金品は盗られてないしリンゴも食べないしケガもしてないし謝られてもあの人は戻ってこないから放っといてと繰り返しても引いてくれなかったので、やむなく泣き喚いて帰ってもらったのだ。
量子化した禁書の密売の真っ最中だったキリウは、詳しく調べられずに済んだ荷物を抱いて息を吐いた。ほとんどの街の警察だの病院だのは、住所不定の旅人だと明かせば、セミをくわえた野良犬のようにあしらってくるものである。その冷たさに適応しきっていたキリウは、どうにもこの街の丁重さに疲れていた。
そんなキリウの様子を察してか、急にコランダミーはしょんぼりして言った。
「キリウちゃん、けんりいしきが無いほう?」
キリウはむしろ、自分と似たような生活をしているコランダミーがどうして権利意識に覚醒しているのか疑問に思った。
「俺に一体なんの権利が……」
言いかけてふとキリウが横に掲示されていたポスターに目をやると、そこには、家族の真ん中でひとり佇んでいる子供のシルエットのイラストが描かれていた。その周りを囲むように、このような文字が並んでいた。
もっと知ろう 全般性成長障害
理解・支援・共存
背が伸びない 心が成熟しない
まわりについていけない
全般性成長障害かな?と思ったら
また、一番下には、付け加えるように手刷りのチラシが貼られていた。
ひとりで悩まないで!
永遠の少年少女による
すべての少年少女のための
ネバーランド・ラジオ
放送は毎日午後…