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114.ALMOST DEAD

 その場所には、腹の中で増えすぎた寄生虫のようにズルズルと人間がひしめいていた。むやみに広いフロアの壁一面に並べられた受付カウンターのひとつに、むせ返る人波から吐き出されたキリウ少年がしがみ付いた。

 休日出勤顔の受付係がキリウに尋ねた。

「どれをお探しでしょうか?」

「友達が……友達の……えーと、友達!」

 へろへろのキリウは受付係の背後の棚、の手前に置かれたラックの二段目を指さした。そこには大量の『落とし物』にまぎれて、狭いケージに詰め込まれてギイギイ鳴いているトランがいた。

 受付係が心無い仕草でケージを持ち上げてキリウの前に置き、「よろしゅおますか」と確認を促す。ゾンビのように受け取ろうとしたキリウは、しかしそれがハムスターのケージであったことから正気を取り戻した。彼はケージをこじ開けてトランを引きずり出し、こぼれ落ちたハムスターをぽいぽい放り込んで返した。

 そうしてトランを抱えて立ち去ろうとしたキリウを見つけて、付近の人々が次々にカメラを向けてくる。彼らは嫉妬から、『落とし物』を見つけたキリウを地元で晒し者にしようとしているか、あるいは自分の『落とし物』が見つからなくてよかったと思い込もうとしているのだ。

「触るなよ、勤め先に親戚のふりして押し掛けるぞ!!」

 逆上したキリウが威嚇するように叫ぶも、正気を失っている集団が相手では意味が無い。らちが明かないので、キリウはポッケに入っていたビー玉で彼らの注意を引きつけ、それを放った隙に階段を目指して走った。

 ああ――何も失くしていない人間だけがこの乱痴気騒ぎを見下ろすことができるのだろう。風呂上がりにアイスを食いながら……。そいつらを見上げて僕たちは、何かを失くしたことに気づいてもいないバカどもめと叫ぶのだろう。

 そう、おかしなことがあったものだ。先の駅で小学生が集団ヒステリーを起こしたために列車が止まってしまったのはともかく、時間つぶしにキリウとコランダミーが降りた駅の名は『遺失物取扱所』だった。街の名前にしては微妙すぎる。果たしてそこには、駅から徒歩三分・敷地面積六万五千五百三十六坪の広大な『遺失物取扱所』だけがあった。

 たくさんの人がぞろぞろと施設に吸い込まれていくのをキリウが不思議に思った矢先、コランダミーが騒ぎ始めた。ペンダントを失くしたのだと主張する彼女は、「探してくるね」と言ってみずからそこに飛び込んでいった。仕方なく外で待っていたキリウも、しばらくするとトランが姿を消していることに気づき……探さなければと思ったのだ。

 この地獄のような遺失物取扱所で。

 ここでは失った痛みをことさらに誇張し、同情されたがっている間抜けから死んでいく。それだけは確実だった。その点に限って言えばキリウはコランダミーを心配してなどいなかったが、人の多さだけは気がかりだった。このままではキリウと合流する前に、小さなコランダミーはペチャンコになってしまうに違いない。

 キリウは背後から襲ってきた女装男子を躱し、階下に叩き落とした。知ったこっちゃねぇ、今日は花火大会なんだ。そしてこんな時でもエレベーターに比べて階段は空いている。振り返りもせずにキリウは階段を駆け上がった。

 このあたりで、LF係数(ロスト・アンド・ファウンド係数、通称『なくしもの係数』)の算出方法をおさらいしておきたい。

 
  LF係数 = 届けられた数 × 探しに来た人数 / 見つかった数
 

 一般的には、LF係数が高い遺失物取扱所ほど、アイスを食べながら見ていて面白いと言われている。

 三階にやってきたキリウは窓を勝手に開けてトランを逃がし、それから覚悟を決めて再三の人ごみに身を投じた。ここでコランダミーが見つからなければC2館まで足を延ばさなければならなくなり、そうしてるうちにもますます彼女の身が危うくなるだろう。

 女子供もかまわず押しのけ、邪魔な奴の足を蹴飛ばし、キリウは受付カウンターの棚が見える最前線まで死に物狂いで突っ切った。たとえ広すぎる施設内でコランダミーを見つけることができなくても、コランダミーの『落とし物』をキリウが先に見つけさえすれば、彼女も帰ってくるはずだからだ。それがこの場所の病理だった。

 しかしキリウが晒し首のような保管品を四半分くらいチェックし終えた時だった。キーホルダーやアクセサリーの類がびっしりとピン留めされたボードから視線を外した刹那、彼が棚の真ん中に見つけたのは、片目がちぎれて胸から綿が飛び出してボロボロになった少女の人形だった。

 虚ろな瞳で地獄を見つめているそれを、なぜか彼はコランダミーだと思った。

 叫びそうになった瞬間、ふいにキリウの周囲に大きく隙間が空き、支えるものが無くなったキリウはひっくり返った。白い床に叩きつけられた彼の目の前には、困り顔でカウンターの向こうを見つめているコランダミーと、彼女の周りで魂が抜けたように立ち尽くしている人々がいた。

 その少女はキリウに気づくと嬉しそうに彼の名前を呼んだ。

「キリウちゃん!」

 気まずそうに立ち上がったキリウに向かって、彼女は自分の顔ほどの高さがあるカウンターを指さして「よく見えない」と訴えた。そりゃそうだ。キリウは周りの人たちが襲いかかってこないことを訝しみながら、コランダミーを持ち上げてやった。

 キリウはずっと後ろを警戒していたが、そいつらは呆けているようでしっかりとその場に立っており、まるでコランダミーを守るかのようだった。なんで? どういう趣味? コランダミーは……。

「どれをお探しでしょうか?」

「思い出!」

 コランダミーもどうやら『落とし物』を見つけたらしい。キリウは腕の中でもぞもぞする彼女を床に降ろし、そのまま手を取って引っ張っていった。長居は無用である。案の定、受付カウンターを少し離れると相変わらずの人波に全身を引きちぎられかけたが、幸運なことにコランダミーの手のひらに収まるほどのペンダントが見咎められることはなかった。

 非常時以外開閉禁止の扉を勝手に開けて、二人は非常階段に転がり出た。外はすでに日が暮れかけており、遠くに見える線路の様子から列車の運行が再開していることが分かった。挽肉機のような室内から解放されたキリウは、糸が切れたように座り込む。一方のコランダミーは握りしめていたペンダントを首に掛けなおして、無邪気ににこにこ笑った。

 彼女の首飾り――例の透明な歯がぶら下がったやつだ。まぶしい夕日を避けて静かに輝くのは、どう見てもガラスでできた差し歯だった。キリウは受付カウンターでのコランダミーの言葉を反復した。

「思い出?」

「うん! あのね――」

 コランダミーはとうとうと昔話を始めたが、やはり彼女も疲れ切っていたのだろう。その長い話は時系列とてにをはがめちゃくちゃで、ひたすら要領を得ないものだった。さらにそれを聞くキリウも同様だったために、非常階段は一種の異様な情報伝達効率の低さに包まれた。

 とにかくキリウが理解できたのは、コランダミーには思い出が多いのだということ……過去に様々な人と行動を共にしてきたのだということ……その首飾りはキリウの弟、ジュン少年がコランダミーの持ち物から作ってやったものだということ。それだけだったし、それ以上はキリウもあまり興味が無かった。

 トランが無事に下の方でふらふら飛んでいた。話が終わって一息つくと、キリウはもう一度コランダミーを抱きかかえた。そのままぴょんと跳んで非常階段の柵を越え、現世へと帰っていった。