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2.電波地獄

 いわゆるアンテナの作り方のマニュアルは当初から何回か改定されていて、今は概ね次の通り。

 

 1.四肢をちぎれないように折り砕く。

 2.両腕に枝を入れる。肩口から肘に向かって一本、肘の内側から手首に向かって一本、骨に沿わせるようにねじこむ。

 3.胴体を両手で掴んで、支柱に上から突き刺す。肛門から鳩尾に向かって真っすぐ刺したあと、上から押し込んで鎖骨の下まで入れる。

 

 あんまり暴れて手が付けられない場合は、首を引きちぎって大人しくさせる。取った首は金属製の支柱の天辺に突き刺しておくとよい。そうすれば亡者の身体が支柱を芯にして再生せざるを得ないので、綺麗に刺し貫いたのと同じ形になるからだ。

 

  *  *  *

 

 三途の川の渡し賃代わりに亡者から取っているアンケートによれば、「電磁波(電波・放射線)が怖い」という声は確かに年々増えていた。アンテナから電波を出すのに、そのアンテナに直に亡者を突き刺すやつがあるかと正論を言うものもいたが、そんなことはどうでもいい。地獄の責苦がどのような形をしていたところで本質は変わらないのだということを理解している鬼ならば、そんなことを言うはずがない。人間が持つ電波への恐怖のイメージを地獄に構築するにあたって、電波地獄という刑場ではアンテナが象徴的に用いられた。それだけにすぎないのだ。

 中でも最も象徴的と言えるのが、敷地の中心部に据え付けられた巨大アンテナだった。あの巨大なアンテナ塔は鈍色にきらめく血まみれのランドマークで、見る者に生理的嫌悪感を催させる角度で傘のように広がった枝(エレメント)に、いつも夥しい数の亡者を突き刺してぶら下げていた。焼け焦げた赤黒い空の下、荒寥とした地獄の大地にまったく馴染まず降って湧いたようなその人工的な佇まいは涼しささえ湛えているものだった。その実、刺し貫かれた亡者たちは一秒間に数十億回も振動するエネルギーによって内側からグズグズに揺さぶり尽くされ、すぐに原形を半分もとどめていない死体の山となってその足元に降り積もるのだった。

 もっとも、近年さらに数を増している亡者すべてを受け止められるほどのキャパシティは巨大アンテナとて望めなかった。だから実際のところほとんどの亡者は、敷地内に無数に設置された金属製の支柱を用いて、マニュアル通りに小さなアンテナを作ることで処理されていた。

「そういや、舌吊り地獄で出たらしいよ。『はぐれ鬼』」

「舌吊りってL6の? 誰がそんなとこから話持ってくんだよ」

「ユキヲが技術の誰かに聞いたって。シャフトで会って話した鬼がデータベースにいなかったって。これって『はぐれ鬼』だろ」

「あいつウソしか言わねえ。誰か、は創作にしても雑すぎだろ。せめてもうひとり、知り合いの知り合いとかを挟めよ。そこは頑張れよ」

 ――錆まみれの柵の影に隠れて、ふたりの子供の鬼がこそこそと私語に興じていた。ごうごう唸る機材の騒音にマスクされて周囲には聴こえないだろうと彼らは思っていたようだが、少し離れたところでアンテナ作りに勤しんでいた別の鬼の少年、キリウの地獄耳にははっきりと届いていた。

 この日は大気が異様に湿気てビリビリしていた。あるいはこれは現実逃避なのかもしれない、とキリウは他人事のように思ってもいた。いまキリウは、手持無沙汰にアンテナの枝を弄り回しながら、先程から足元でもがき続けている若い男の亡者をじっと見下ろしている。そいつは折れた両腕で身体を引きずることも放棄して、内訳のわからない濁った体液を口元から噴き出しながらしゃくり上げていたが、本来ならば健在のはずの右脚が根元からもぎ取られていた。さっきキリウがくしゃみをした瞬間に、脚を砕いていた手にうっかり力が入ってしまったせいだ。激しく泣き喚いているはずのそいつの悲痛な叫びはまったくキリウの耳に入ってこず、その隙間を埋めるように、他愛もない噂話だけが入ってきている形だった。

「だいたい今、ポリシーどうこう厳しくて、どうやって他所の鬼のこと調べんだよ。よしんば居たとして、何なんだよ」

「去年の話なんだって。絶対に天の国のスパイだよ、『はぐれ鬼』。これはいよいよ始まるね」

「何がだよ。リアリティ無ぇ」

 ただし聴こえているからといって、その内容について今更キリウが何か思うことも無かった。娯楽の少ない地獄では、こういった根拠の怪しい噂話が飛び交うのは茶飯事だ。中には明らかにそうとわかる作り話も多数あったが、いちいち裏を取っていたらきりがない。それはこの電波地獄に所属する獄卒たちの年齢層の低さに起因するものではなく、どこへ行ってもだいたい同じであることをキリウは経験から知っていた。

 というのも、このキリウという鬼は少年の姿に反して歴の長い鬼で、わりとあちらこちらの刑場で獄卒の仕事に従事してきたからだ。地獄で働く全ての労働者を『鬼』と定義したとき、現場で亡者に責苦を与える仕事をする者を獄卒と呼ぶ。鬼には他にも管理だとか技術だとかいくつかの仕事があるが、それらはごく一部の適性のある鬼たちのもので、キリウもまた例外ではなくほとんどの鬼と一緒になって獄卒をやっていた。

 そういった獄卒たちは地獄の各所に構築された刑場に適当に割り当てられて働いているものだが、その点では電波地獄は少し特殊な事情を持っていると言えた。なぜなら――。

「つーか『はぐれ鬼』って、単にデータベースに登録が反映されるのにラグがあるだけって、ずっと言われてるし。そんなのでいまだに騒げるのがお察しだわ」

「はぁ~? ネタって分かってて面白がってるとこに水を差してる方がお察しだろ。空気読めよ、つまんねぇ」

「図星だからってそれかよ。つーか、ネタでもつまんねーし。てめーがつまんねーのをこっちのせいにすんな」

 もはや取れた脚は放っておいて、えいやで亡者の肩口から枝をねじこんだところだったキリウは、急に剣呑な雰囲気になったふたりの方を振り返った。今度は手元が狂うことこそ無かったが、金属の棒で腕を貫かれた亡者が当然悲鳴とともに身体を跳ね上げてばたついたので、キリウは一瞥もせずに鬼の硬い拳でそいつの顔面を殴りつけた。

 そいつは下顎が頬ごと吹っ飛んで首が折れ曲がっても、まだ血をぼたぼたと溢しながら動いていた。これは地獄に満ちたエーテルが彼らの身体に力を吹き込んでそうさせているのだ。地獄で責苦を受ける亡者たちは、地上で生きていた頃には考えられないような恐怖と苦痛に曝され続けてもなお、意識も正気も恐ろしいほど鮮明さを保っていた。それは自らの驚きと怒りが絶望に変わるまでをつぶさに観察し、石ころのような亡者として苦しみ抜いて死ぬためにだ。そして刑期を終えるまでは何度でも復活し続けることさえも。

 キリウが更にそいつを蹴飛ばそうとしたとき、柵の影で屈み込んでいた獄卒の片方が、肩を怒らせてゆらりと立ち上がったのが見えた。先に噂話を始めた方の獄卒だ。彼は大口を開けて、ぎょろりとした目を血走らせて、周りも気にせず大声で怒鳴った。

「おもしろい話はないのかって、探しもせんでガキみたいに訊いて回ってるのはそっちのくせに。冷やかしかよ、あほ」

 するともうひとりも焦るどころかすぐに立ち上がって、唾が飛ぶほど相手に顔面を近づけながら、同じくらい目をかっ開いて声を張り上げた。

「はー? てめーのが年下だろ、くそガキ。自分が面白いと勘違いしてんのか? だるいわー」

「死ね、殺す」

「てめーが死ね」

 そうして口汚く罵り合いながら、更に取っ組み合いの喧嘩を始めたふたりを見て、キリウは血まみれになった自分の爪を噛んだ。周囲で作業をしていた数匹の獄卒たちも続々と事態に気付いて、各々の手を止めてその場から見物しているものもいれば、近づいていって積極的に煽るものもいた。

 娯楽の少ない地獄では、こういった喧嘩も茶飯事だった。しかしこちらは紛れもなく、電波地獄に所属する獄卒たちの年齢層の低さに起因していた。低いも何も、電波地獄の獄卒は全員子供なのだ。この刑場に子供の獄卒ばかりが集められている、いや押し込まれている、本当の理由はこういうところなのだとキリウはとっくの昔に理解していた。

 ことの発端は、前任の閻魔の頃から地獄を見舞い続けている深刻な鬼手不足だった。労働力の確保がままならない状況があまりにも続いた結果、どこかのバカが「子供の残酷さは獄卒に向いているかもしれない」と提案したらしい。それから何人もの『賽の河原』出の子供の魂が、地獄に招き入れられて鬼になった。しかし自らすすんで地獄で働こうという子供だなんて、程度の差はあれ情操教育が足りていなくてどこかしらに欠陥を抱えた悪ガキばかりだった。そのことが誰の目にも明らかになって以来、心を守るためだとかと耳触りの良い理由をつけて、子供たちは当時新設された刑場にまとめて押し込まれてしまった。

 それがここ、電波地獄なのだった。現実として、電波地獄は力の加減ができなくて身体が大きくもない子供でも働きやすい刑場であることは確かだった。そもそも最初から、子供の獄卒を隔離するためにデザインされた刑場だったのだ。

 そんなことはどうでもいい。ただひとつキリウが今も納得できていないのは、子供の残酷さが云々という話が出てくるよりもずっと前から獄卒をやっていたはずのキリウも、子供だからという理由で一緒くたに隔離されてしまったということだけ。

 何度目かもわからない、燻り続ける苛立ちとともにキリウは割れた自分の爪の欠片を口から出した。ヒトのものとは明らかに違う、亡者の血で黒ずんだ分厚い爪の欠片。引っかけたからとて折れるようなものではなく、亡者の骨まで切り裂けるほど丈夫なので短く整える必要も無いが、キリウはもっと鋭い歯で噛むのでいつもぼろぼろにしていた。鬼の姿は亡者の目にはありえないほど恐ろしく、おぞましい異形のものとして映る仕組みになっている。だから子供の魂でも獄卒の仕事は問題無くできるのだが、とはいえ鬼もまた亡者と同様に地獄のエーテルの影響を受けており、それはこのような身体の変化となって表れた。

 まあ、こんなのもキリウは慣れっこなのだ。むしろ、この程度の変化じゃ生ぬるいとさえ思っていた。キリウは今度こそ、足元で暴れ続ける亡者の男を強かに蹴飛ばした。そして左脚も力任せに引きちぎると、いよいよ痙攣し始めたそいつの身体を勢いよく支柱にぶっ刺して、肩に手をかけて胸まで支柱に差し込んだ。これで本日三十本目のアンテナの完成だ、脚が無くたって何も問題は無いのだ。

 しかしちぎれた脚を踏みつけて復活待ちの死体置き場に次の亡者を取りに行こうとした瞬間、ふいにキリウは思い出したように声を上げた。

「あっ!」

 辺りでまだ喧嘩の見物をしていた獄卒のうち数匹が、ぎょっとしたようにキリウを見た。キリウはひどく不審げな幾つもの瞳をゆっくり見返したあと、また思い出したように天を指して口早に言った。

「おい、雨降るぞ」

 何かに額をはたかれた気配にキリウが目を瞬いたのは、その直後のことだった。頬にまで飛び散ったそれは大粒の雨だった。赤い雨だ。すぐに辺り一帯にばたばたと鈍い音が広がり始めると同時に、もともと暗い空気がいっぺんに強い熱と湿り気を帯びて、痺れるほどに重みを増していく。

 弾かれたように走り出したキリウと同時に他の獄卒たちもめいめいに走り出していた。雨を浴びて壊れる前に、アンテナの制御装置を始めとした機材を片っ端から止めなければならないからだ。串刺しにされた壊れかけの無数の亡者たちを放ったらかしにしたまま。

「(よ)っしゃぁーー!!」

 誰かが高らかにそう吠えていた。べつにこの後の仕事が無くなったところでそいつの『出所』が速まることは無いのだが。