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7.同じ服を着て、同じものを好きになる

 新しいキリウ君が家に来て一か月ほどが過ぎていた。

 ジュンは彼に、片づけるタイミングを逸していた兄の私物をそのまま使わせていた。正確には、使わせようと当初からジュンが考えていたら、何も言わずとも連れ帰った翌日から勝手に彼が使っていた。だからジュンが使わせようとしたわけではなかった。

 兄と同じ音楽を聴いて、兄と同じ服を着ている彼は、どういうわけかみるみるうちに兄に似ていくようだった。聴取するラジオ番組が同じだからか話題が同じになっていったし、散歩コースが同じだからか靴の汚れ方まで同じになっていったし、生活リズムが同じだからか目つきまで同じになっていった。

 なぜジュンが教えもしないのにそんなことになるのかは分からなかった。分からなかったが、特に不気味だとも思わなかったのでジュンは尋ねなかった。むしろ、教えもしないのに勝手に次々と真似てくれるのでとても助かっていた。だからジュンが真似させようとしたわけではなかった。

 二週間もすれば、すでにジュンは兄が戻ってきたように錯覚し始めていた。そして今やキリウ君の生活ぶりは、生産所産の子供ではないために事業所の作業ではなく普通のアルバイトをしていることを除けば、かつての兄そのものとなっていた。ご近所さんたちすらも、彼をジュンの兄のキリウ君だと信じて疑っていなかった。(死んだこと言ってないしね)

 おまけにキリウ君はとても器用で、ジュンの兄ができたことならば何でもできそうだった――兄しか知らない電子機器のパスワードを解除すること以外は。ジャンク品を修理したシンセサイザーも同じように弄れたし、散髪を嫌がってくだらない言い訳をこねられたし、きったねぇ字の伝言メモも書けた。彼のメモを覗き込みながら口をへの字にしているミーちゃんを見たジュンは、いつか見たのと同じ光景に思わず笑みがこぼれたのを感じていた。

 ミーちゃんも新しいキリウ君を気に入ったようだった。前と同じようにキリウちゃんと呼んでいいよと言うと、彼女は別段に疑問に思う素振りも無く、キリウちゃんキリウちゃんと呼んでくっついて回っていた。キリウ君の方は若干距離を測りかねていそうではあったが。

 では、この家の生活は元通りになったのだろうか。彼はジュンの兄になってくれるのだろうか。

 三つだけ、ちょっとした出来事があった。

 一つ目は、IDカードのことだった。この街の住民はIDカードの携帯が義務付けられており、IDが無ければカラオケにも行けないし医者にもかかれないといった面倒と引き換えに様々な利点を得ている。が、ジュンがキリウ君の移転手続きをするために彼にIDカードの準備をお願いした時、彼がポッケから引っ張り出したのはなぜか何枚ものIDカードの束だった。それらは全てキリウ君の名義だったが、IDの値が異なっていた。

 IDは再発行しても変わるものではない。まさかと思ってジュンがわけを訊くと、あろうことか彼は「拾った」と答えた。しかも「俺のは無い」だなんて言うからさあ大変。

 結局ジュンは、戸惑う彼を役所に引きずっていって新しいIDを作らせなければならなかった。彼は身分を証明できるものを何一つ持っていなかったため、本人確認書類には兄が気まぐれで取っていた無線の免許を拝借した。他のIDカードは……ジュンの知ったことではない、少なくとも事件現場から持ち去られた兄のものは含まれていなかったのだから。

 二つ目は、彼が深夜に光の翅で空を飛び回ることだった。夜更かしではないジュンはしばらくの間気づかなかったが、どうやらキリウ君は二・三日に一回はそれをしていたらしく、ご近所さんからの「おたくに深夜に光ってる人いない?」という苦情を受けて初めて知ることとなった。

 ジュンと兄のキリウ君は市の人口政策によって生産所でつくられた身分ゆえ、施設を出ても市営の集合住宅に身を置いており、そのような環境で深夜に光や騒音を出すのはかなり好ましくなかった。しかし新しいキリウ君だって突然環境が変わってストレスもあるだろうし、リフレッシュすることは大事なはずだった。なので彼を強制的に連れてきてしまったジュンとしては、そういう行動は控えてほしいと注文をつけることは気が重かったが、実際のところキリウ君は特に文句を言うこともなく、次からは屋根の上を跳ね回る程度にとどめてくれていた。

 兄も身軽で高いところが好きだったし、キリウ君というのはそういうものなのかもしれない、とジュンは思った。

 そして三つ目は、食事のことだった。この家において家事は分担制だったが、料理を含む家事全般を全くの作業としか捉えられないジュンと異なり、兄はわりと好んで料理をする方だった。なので新しいキリウ君にも勧めてみようとしたら、例によって何も言わなくとも自ずからやっていた。

 しかし出来上がったものを見てジュンは違和感を抱いた。おそらく、彼の献立のセンスが兄とは少し違っているように感じたからだ。食べてと言うので食べてみると、やはり味付けのクセも兄とは少し違っていた。ジュンが味音痴気味であるため正確なことは言えないが、その上で兄のほうが薄味だったようジュンには感じられた。

 ジュンが一番不思議だったのは、なぜ料理以外に関しては彼はほとんど完璧に兄を真似ているのに、ここに限ってのみそうしないのかという点だった。できないのだとはジュンは思わなかった。できないわけではないならば、あえて変えているのだろうか? そういった疑問はあったものの、これはこれで目先が変わって良いと思ったジュンは、特にキリウ君に尋ねることはせずそのまま受け入れることにした。

 だからだろうか、ジュンはそういった日常的なところで、彼が兄ではないという事実を認識し続けることができていた。もしかしたら、そうではなかったら本当に忘れていたのかもしれない。

 それって薄情かな? でも、兄もたぶん同じくらい薄情だった、とジュンは思った。