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13.しあわせ家族計画

 十月某日のことだった。隣町で行われるフリーマーケットに三島マリコが顔を出すということで、ジュンは人形のミーちゃんを連れて会いに来たのだった。

 インダストリアルデザイナーのミシマリこと三島マリコは産業用ロボットの設計を幅広く手がけていることでその分野では有名な女だが、副業で個人向けお友達ロボット通称『人形』を開発していることはあまり知られていない。その一端であるミーちゃんを所有するジュンにとっては、ミーちゃんの生みの親として彼女は大きな存在だった。そんな彼女は今日も頭に花飾りを満載したナチュラル系の出で立ちで、旦那同伴で、店頭に大量のハンドクラフトを並べて満足げな笑みを浮かべていた。

 さて、三島は自身の製造物であるミーちゃんを溺愛しているので、ジュンがミーちゃんを伴って現れると開口一番「かわいいねー」と顔を緩ませてミーちゃんの頭を撫で始めた。彼女は『人形』を撫でるとき、動物を愛でるように耳の上から側頭部をわしゃわしゃと撫で回すクセがある。それをされてミーちゃんの真っ直ぐな髪が乱れることを好ましくないと以前から思っていたジュンは、今日はミーちゃんにイヤーカフを着けさせてきていた。すると思った通り三島は『人形』の耳が傷つくことの方を嫌ってそこには触れず、しかし代わりに指先で後頭部をもしゃもしゃ撫でていたのだった。

 そりゃそーなるよな、とジュンが何の感慨も無く微笑んでその光景を眺めていると、三島は嬉しそうにジュンの手に売り物のヘアアクセサリーを握らせながらこう言った。

「きみといるときのそのコはこの世で一番かわいいね。天使みたい。愛してもらってるのが目に見えるようだよ」

「ありがとうございます」

 ジュンはぺこりと頭を下げて彼女の厚意を受け取った。隣でミーちゃんがにこにこ笑っているのが分かった。小さな花を模したヘアアクセサリーはミーちゃんの淡い髪色によく合いそうだったけれど、ジュンはあまりミーちゃんの髪をアレンジして遊ぶ質ではなかったので、別の活用方法を考える必要があった。

 それから三島はいつも通り、ジュンの『遊び方』を確かめるようにミーちゃんを頭のてっぺんから爪先まで観察し始めた。眼鏡の度が合っていないのか目を細めて見ていることも相まって、傍目にあまりにも明白なその振る舞いは、実は本人はさりげなくやっているつもりらしい。今日のミーちゃんの服装は白いパーカーワンピースに黒いブーツだ。三島はおおむね満足げに頷いていたが、最後にミーちゃんの細い首に巻かれた暗色のチョーカーを指先でそっとなぞると、ジュンに向かって笑顔のまま言った。

「でも、このチョーカーはちょっとどうかと思うよ」

「そうですかねー」

 パンクに片足突っ込んだようなそのチョーカーは、三島のロリコン趣味とは合致しなかったようだ。ジュンは口答えせずに、首を斜めに振って曖昧に受け流した。そして三島が以前に「自分が製造した『人形』がどこでどのように扱われているか知りたいのに誰も見せてくれない」とぼやいていたことを思い出して、こういうところが敬遠されてるのだろうと再三に渡って要らぬことを察してしまってもいた。

 実際のところジュンも、三島のことを付き合いやすい人だと思ったことは一度もない。それでもジュンが定期的に三島にミーちゃんを見せに来るのは、ひとえに彼女に恩があるからだ。そもそもジュンが今ミーちゃんと共にいられるのは、かつて三島が所有していた倉庫で当時すでに型落ちしていたミーちゃんを見つけたジュンが、お金は何としてでも払っていくからどうしても譲ってほしいと頼み込んだのを彼女が承諾してくれたからだった。作業訓練のために派遣されてきた子供たちの一人にすぎなかったジュンを、いったい三島が何を思って信用してくれたのかは今も分からない。クレヒスも無いまま……。

 そうしてミーちゃんはジュンの初めての借金となり、唯一無二の相棒になった。なるはずだった。ミーちゃんは、ジュンが兄に相談せずに手に入れた数少ないもののひとつだった。にもかかわらず、兄が死んでから結果的に放ったらかしにしてしまったのは、本当に情けなかったし申し訳なかったと今のジュンは後悔していた。あんな体たらくならば、ジュンはひとりにしてほしいだなんて言って彼女をシャットダウンすべきではなかったのだ。

 そんなことを考えていたら無意識のうちに険しい顔をしていたのか、気付くと三島がジュンの顔をじっと見ていた。ジュンは話題の変更を兼ねて、ふと三島にキリウ君のことを相談してみることにした。

「あの、三島さん。ぼくの兄のこと覚えてますか?」

「すごく覚えてるよ~。だってぜんぜんあたしの『人形』に興味持ってくれなかったもんね。今日は来てないの?」

 食い気味に答えた三島を見て、この人はそういうところで他人を覚えるタイプなのかなとジュンは思った。三島がジュンの兄と会ったのは一度きりだ。ミーちゃんとの出会いから日を改めて、ジュンが三島の自宅へミーちゃんの購入に関する具体的な相談に出向いた時、勝手に着いてきたくせにずっとどこか気まずそうにしていた兄の姿をジュンもよく覚えている。

「最近、街中で兄とそっくりな人をよく見かけるんです」

「それはきみじゃないの?」このとき三島はジュンとキリウ君の顔がそっくりなことについて言及していた。

「ぼくではないです。ぼくはぼくです」キリウ君と似ている自覚が無いジュンは的外れな返事をした。

「ふ~ん。で、どしたの?」

 ジュンは、なぜそんなにも自然なことのように三島が尋ねてくるのか理解できず、少し狼狽えた。

「おかしくないですか? 同じ人が何人もいるのって」

 それを聞いて三島は、ちょっと面白いことに気付いたかのように笑って答えた。

「どうかな~。あたしは人形造ってるから、同じコがいっぱいいるのも慣れっこなんだよねぇ。なんなら、好みの顔だったら何十体でも並べてうっとりしちゃうよ~」

「そういうものですか」

「よくわからないけど、実害が無いなら放っておけばいいんじゃあないの?」

「実害……」

 ジュンは黙り込んだ。再び、先程よりも更に自分が険しい顔をしてしまっていることに気付いていたし、隣でミーちゃんが見上げてきていることにも気付いていたが、どうにも顔の筋肉から力を抜くことができないでいた。そのまま、少し声を潜めて三島に尋ねた。

「あったら、どうしたらいいと思いますか?」

 もちろんジュンが思い浮かべていたのは先日巻き込まれた事件のことだった。今でもジュンは夜道でSUVを見かける度に夕飯が不味くなる思いをしている気がするので、自分で思っている以上に引きずっているようだった。そんなジュンがよほど切羽詰まって見えたのだろう、三島は珍しく無表情になって、ジュンと同じくらいに声を潜めて訊き返してきた。

「なに? きみ、何かトラブルにでも巻き込まれてるの? きみは良い子だから相談乗るよ??」

「いえ……」

「納得いかないなら、闘うしかないだろうねぇ。社会と同じだよ――」

 そこで三島は言葉を切って、ぱっとジュンの背後に視線を向けると妙に好戦的な口調になって言った。

「やあ。噂のキリウ君」

 ジュンがびっくりして振り向くと、すぐ近くにキリウ君の顔があってびっくりした。いつの間にかキリウ君が、ジュンの肩越しに三島が広げている売り物を眺めていたようだった。そういえば書いていなかったが、ジュンはミーちゃんだけでなくキリウ君も連れてきていたので、もともと会場内にはずっと居たのだ。いきなりジュンが振り向いたせいでキリウ君もびっくりしたらしく、彼は半歩跳び退いて硬直していた。

 そんな間抜けな兄弟をよそに三島はどんどん楽しそうな様子になって、嬉々としてキリウ君に話しかけ始めた。

「きみは本物なのかな?? 弟君がきみの偽物で困ってるみたいだよ~、話聞いてあげてね~」

「キリウ君、気にしないで、そういう話じゃないから……」

 そんなことよりジュンは、三島に兄が死んだことを伝えていなかったので、話の流れを知らないキリウ君が辻褄の合わないことを言わないように慌てて先回りしなければならなかった。一方のキリウ君は、三島とジュンからは矢継ぎ早に話しかけられて、横からは暇を持て余したミーちゃんがぼふぼふと肩で当たってくるのを受け止めなければならなくなっていて、何が何だか全然解っていない様子だった。そんなキリウ君の気まずそうな顔にひどく見覚えがあって、ジュンはとうとう笑ってしまった。